春かと思った

書いてから一年後ぐらいに公開する日記など

学生の時に書いた感想文「教育実習を終えて」

3週間の教育実習が終わりました。私は自分が教育実習を行うことを、「先生」をすることを、実習が始まってしばらくするまで、全く想像できませんでした。1年のころから教職課程を履修していたものの、現実的に、具体的に自分が先生になるイメージを持ったことがありませんでした。低い意識でなんとなくやっていたのです。学校や教師、教育というものを斜めに見ていた部分もあります。「学校ってなんなんだ?」そんな思いがずっとありました。そんなふうに思っていたことが、実習に行ってから、少し変わりました。

先生というのは、広く深い知識があって、大人で、余裕があって、何を聞いてもわかりやすく教えてくれる人だという認識が昔からありました。先生はすごい人、誰でもなれるものではないし、私のような落ちこぼれが先生なんてできるわけがないと思っていました。そう思う理由は、今までずっと自分が児童や生徒や学生という立場でしかなかったから、というのもあります。

実習初日は、警報が発令されていて、実習先の中学校は臨時休校でした。その日は生徒に会えませんでした。校長先生や、生徒指導の先生の講話を聞きました。そのときに、ある先生が、実習生全員を前にして「今年、採用試験を受ける人手をあげて」と言いました。教育実習に参加しているのに教員を目指さない人間は実習校からすればとても迷惑な学生だ、というのはわかっていました。私以外の人はいっせいに手をあげていました。私は、おどおどしていました。

4年になり、卒業研究の実験等で忙しかったということもありますが、私は教材研究等、実習前の準備が不十分だったと思います。自分が授業実習をさせてもらう単元は、苦手な内容でした。高校でもろくに物理の勉強していないし、そんなやつが教えていいものか、と思っていました。でもそういう問題じゃなく、とにかくやるしかないんだ、ということは、あとになってわかりました。できない言い訳をしても仕方がありません。

教育実習が始まる直前と、実習の最初の一週間は不安で不安で仕方がなかったです。胸やおなかがきりきりして、苦しかったです。もう遅いけど、とにかく目標を決めよう、と思いました。なぜ私は教育実習に行くのか。

とりあえず設定した目標は、「観察する」ということです。学校がどういうところなのか、先生ってなんなのか、それを目をこらして見てみようと思いました。他の実習生のように、教師になりたいという高い志はなくても、私には、私なりにずっと気になっていることがあります。そして、考えたいことや勉強することがきっとここであるはずだから、観察をしようと思いました。

実習一週めは本当に観察をしていました。学校のしくみ、担当クラスにどんな生徒がいるか、など。一週めにそんなふうに生徒や学校を見ていて、特に印象的だったことを、二つ紹介します。

一つめです。ある生徒が授業中、机の上に何も出さずぼんやりしていました。授業が始まってしばらく経ってから、先生が注意をすると、生徒は「授業で使うプリントがない」と言いました。そこで先生はとても厳しい口調で「なかったら言わんかい」と言ってその生徒にプリントを渡しました。私はそのやりとりにとても驚きました。自分が授業を受けるためのプリントをなくしたり、忘れたりして持っていなかったら、そのせいで自分が困るのは自業自得だ、と思っていたからです。それを厳しく叱って、さらに新たにプリントをあげて授業に参加させた先生の行動は、中学校では当たり前のよくあることなのかもしれませんが、私はそこに強烈な優しさを感じました。義務教育で「自己責任」という言葉とかはないんだな、と思いました。同時に、自分もそんな優しく暖かく包まれるような教育を、これまで受けてきていたんだな、と思いました。自分が中学校のときにはわからなかったいくつかのことを、教育実習でわかるようになったり、気づくようになったりしました。

二つめは、実習一週めに行われた校内陸上記録会での出来事です。いつも激しく騒いで授業妨害をしたり、校則を守らないので問題児あつかいされている女子生徒が、クラス対抗のリレーの選手として出場していました。その生徒は、自分が授業実習を行うクラスの生徒で、授業見学にも行っていたので、何度か話をしたことがありました。彼女はとても速く走っていました。きれいなフォームで、前を走る人を颯爽と追い抜いていって、私は見とれてしまいました。陸上記録会が終わって、廊下で彼女を見かけたときに声をかけて、その活躍を誉めると、いつも悪態をついてばかりの彼女が、急に幼い顔になって、満面の笑顔で「ありがとう。かっこよかったやろ?」と言って喜んでいました。化粧と悪口の似合う小悪魔っぽい女の子が、すごく無邪気な顔を私に向けていました。私はその顔をずっと忘れたくないと思いました。そこで教育実習に来てよかったなとはじめて思えたし、今、教師をしている人は、もしかして生徒のこんな顔が見たかったから、先生になったのかな?と思いました。

そのようにして時間が経つごとに、生徒の見えなかった一面も徐々に見えるようになってきました。最初はこちらと距離をとって伺うような態度の生徒とも、慣れてくると普通に話ができるようになってきました。

二週めから、いよいよ授業実習が始まりました。最初の数コマは、散々でした。自分が予定した通りに進みません。生徒が騒ぐのを静められません。教材研究が甘く、適切な教え方をできなかったこともありました。落ち込み、反省しました。今までよりも計画を細かく立てるようにしました。自分の実力は急には伸びませんが、しっかりと計画・準備をすることで落ち着くことはできます。何度も授業をこなすうちに、声が出やすくなってきました。同じ内容の授業をするのにも、クラスによって自分が心がけることも違います。

私が指導教官から繰り返し言われたことは「生徒になめられないように」ということです。私は逆に、「中学生をなめないぞ」と心に決めていました。自分がいきなり生徒たちの学校生活に入っていくのだから、謙虚な姿勢で、偉そうにはしないでおこうと思っていました。でも、「先生が生徒になめられる」と、授業やその他の指導が成り立たなくなる場合があるということも知りました。感情的になってはいけませんが、口調や言葉遣いを厳しくする工夫は必要なことでした。私はそれがあまりできず、生徒は完全に私のことを甘く見て、なめていたと思います。そのせいで一部の生徒が指示を聞かなかったり、教室がうるさくなってしまい、それを静めることに私が時間や労力を割いていたら、おとなしくまじめに授業に参加している生徒が置き去りになってしまいます。40人をひとりで相手することの難しさを感じました。特に理科で生徒に実験をさせるときには、騒いだり、ふざけたりする生徒がいることが危険にも繋がります。もちろんなめられているということ以外に、生徒が興味を持って面白く集中して参加できる授業や実験を企画することができなかったことも、反省すべき点です。まず普通に、教科書に載っている最低限のことを教えるので精一杯で、面白くするためのチャレンジができていませんでした。

その中学校では、各教室の後ろの壁に、そのクラスの大きな名簿が貼ってあります。私はその名簿を眺めるのがとても好きでした。いまどきの、個性的な名前が多いです。かわいい漢字、かっこいい漢字、言葉の響きが並んでいます。どんなに破天荒な生徒も、おとなしい生徒も、なんらかの意味や考えを持って、ご両親やご家族によって選び、名づけられ名前なんだと思うと、とてもいとしい気持ちになりました。13年や14年前に名前をつけられたばかりの、若い命がひとつの教室に集合していると思うと、それはすごく特異なことのように思えました。そしてなぜかそんな若い命たちが、私の授業を受けている、いっしょにごはんを食べたりしている、それも結構すごいことだなと思いました。当たり前のことかもしれないけど、奇跡的なことなのではないかと思いました。声の大きい者、小さい者、いろんな生徒がいますが、彼ら彼女らは実はいろんなことを見ているんだと知りました。考えてみれば私だって中学生のころ、大人みたいに、考えたり感じたりしていました。

私は担当クラスのある生徒に、「先生は自信がなさそうに授業をする。もっと自信もてば?」と言われました。その生徒がそんなことを思っていたことも私に指摘してくれたことも意外でした。私は自分に自信がありません。先生になんてなれないと思っていました。それを見抜いて、言ってくれたことがとてもうれしかったし、心にふれられたような気持ちになりました。

教育実習最終日におこなった、最後の授業が、自分としては一番うまくいきました。あんなに不安で行くのが怖かった教育実習なのに、もうこれで終わりか、と思うと、さみしくなりました。もっとうまく授業をしたい、あのときできなかったこんな工夫がしたい、という、前向きな課題が浮かんできました。自分が先生になることをまったく考えられなかったときには浮かばなかった、具体的な課題です。自分のできないことや、できることが徐々にわかるようになってきました。先生になりたいな、と思いました。
最後の、担当クラスでの終わりの会で、クラスの生徒たちと、指導教官からメッセージカードをもらいました。「授業がわかりやすかった」という社交辞令のようなものや、「これからもくじけずがんばって」「自信持て」など、同じようなありきたりなメッセージがたくさん書いてありました。ひねくれているので、そうやって社交辞令だのありきたりだのと、頭では思ってしまいますが、それらの言葉を最初に読んだとき、全部をまっすぐに受け止めて、大泣きしてしまいました。何を言うかじゃなく誰が言うかが重要で、あのいとしい生徒たちがくれたメッセージなのだから、ちゃんと受け止めて前進したいと思いました。これからもいろんな人に出会いたいと思いました。どんなにつまらないことや、かなしいことがあっても、歩みを続けたいと強く思いました。こんなに若い人たちから、こんなに大きなエネルギーをいただいたことは初めてです。このエネルギーを無駄に燃やすことはしたくないと思いました。頑張って生きていきたいです。最初から教師を志している人と比べればものすごく遅いけど、私は教育実習が終わってから、やっとスタート地点に経つことが出来た気がしました。

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