春かと思った

書いてから一年後ぐらいに公開する日記など

2014年1~3月

1/11
他の人の作品がつまんなかったらいいのに!というアレ。なんとか系の、どこどこの人たちに対してすげえなあ~と思うアレ。観に行って、おもしろかったらラッキーだし今好きなものはこれからも好きでいたいし出会う努力もしよう。つまんなかったらそれはそれ。そしてそういうことを、人に言わなくてもいいんだ。おもしろい思いつきだけ言えばいい。遊びだ。他にすばらしいもの、圧とう的にかっこいいものがあってもおちこまなくていいんだ


1/16
なにやってんねやろって思いはつねにあり。
自分が自分のしてることに対して、そんなふうに思っているのに、
たとえば他の人が、わたしのやることをばかにしてんじゃねえかという予感がしたら、
はらわた煮えくり返る。
なめくさったまねをしやがってこのやろう、と怒ります。
こういうのはまじでしょうもない。
なにもしてないし、なにもないし、なんでもない。
なのに、時間はかかるし、イライラ。
自分の不快なんか舌に載せて運べるレベルのやつですから全然大丈夫ですし、
まあそんなもんやなとは思うし、それはそれとして泣きたくもなる。
抱えきれないほど大変で、っていうんじゃあなく、なんかもう、あきれてしまうんです。
いろいろなことに。しょうもなさに。
おいおい、なにがあったんだ。
なにもないよ。
なにもないのにこんなかんじ。
どうするか?
わくわくする気持ちにいつでも戻れるようにすること、
そのやりかた、そのための体力
そういうリフレッシュをはかれるようになったら大人なのではないか。
今日は人に会ってそれによってすこし元気になりました


1/16
なんだそれ。と思うことが多い。グーでなぐりたい


1/23
使っていない携帯電話や充電器、バッテリーをリサイクルに出した。auショップへ持ち込み。破棄依頼で一筆書かされる。レアメタル、だけでなくプラスチックなども再利用されるらしい。


1/23
省みるときのバリエーションがとぼしい。「自分が悪い」だけでは間に合わなくなってきた。てゆーか、だって、私悪くないもん。私悪くないけど、でも、ふりかえって、反省をしないといけないことはあり。それを、どんな言葉で、どうやって始めるのか?


1/26
サンライズ瀬戸出雲で東京にきた。寝台料金なしで乗れるノビノビ席っていうのがあってそこで寝た。大阪駅0:34発なんで伊丹で終電まで飲んで乗車してぐっすりねむれた。足のばせるからだるくなくて朝も早く着きすぎずよかった。


1/26
国立西洋美術館でモネ
あとムンクもやってた。好きな「マドンナ」のリトグラフをみた。アルファとオメガ。


1/26
東京まで芝居観にいったのにまんべんなく寝ちゃった。寝るほどつまんねーってことではなく、私がすごく疲れてて睡眠不足だったとかでもなく、なんだろうな真っ暗すぎてトントントントン寝やすいリズムだったのかもしれん。しかしもったいない。ところどころは起きてたんで、かっこいいなーすげえなーとかは思ったんだけど感動できなかった。寝てたからな。演劇とかを観にいったらロビーなどで公演の関係者と会って話できるみたいなばめんがあって私はあれがあんまり好きじゃないのだがチケット代を劇団員の人に手渡しする約束してて、会うことになっていた。お世話になった演出家とも会った。むかしワークショップでいっしょにやって今、その劇団に入団した俳優さんとも。会えてうれしかったけれどすこしうるうる、ぐだぐだしちゃった。


1/29
昨日は失態。ああいやだ。みっともないようなくやしいような。泣けてしかたなかった。はっきりした理由はわからない。いろいろあって自分はえんげきしてない人、向こうの人々はバリバリしてる、んでもう大きく差がついてしまってる相手になんかされないしどうでもいいこと。それで改めて思い出していたのは、こないだ××さんに会ったとき▲▲さんのwsがトラウマになってて…と××さんが言ってたこと。私はそういうのきくたびに(リベンジとか、)何をそんな、と。そこまでのことなのかって思ってた。でもやっぱ自分もこだわってて、そこに固執してるってきがついた。これがトラウマでなくてなんだ、と。いつも演劇のこと考えるときにあのときの経験があたまにあった。べつにたいしたことなくても。


2/1
昨日、ちょっと落ち込むことあってしゅんとしてたけど、さかうらみが深まる前に、よいタイミングで誘ってもらって、笑い話にしてたのしいかんじでお酒飲んだら良いかんじで2月になれた。


2/2
一気にシュンとなった


2/3
企画した催しが終了したが、今まで感じたことのある はなやぐような充実感がない。面白いものを観ることができたり、出会いがあったり、喜んでもらえたり、勉強になったりしたけど、心に重たいものがたまっている。落ち込んだり、また新しいことを思いついたり、反省したり、事務的な作業をしたり、もやもやしながらいそがしい。喪失感とも違う。前みたいに「あー、たのしかーった!」とは言えない。それは悪いことではないと思う。反省することがたくさんあって。自分ができてると思ってることでも、ここダメですよって人に言われて ああ確かに・確かにダメだったから、もう私は私の こだわり を、大きな声で言ったり、くりかえし言ったりすることがはずかしい。そんなことを思ったりした。
具体的なことを何も書いてない。イベントは、たくさん人が来てうれしかった。私の力じゃないけど。面白い作品が上演された。私の力じゃないけど。ちやほやされたくて消化不良なのかもなあとすなおに思う。ネガティブになる、って意味じゃなく自分に対する批判性をもっと持たないといけないのではないか、とも考えた。問題がおこって、それを人に指摘されたから、よりそれを考えている。いや、それもぼんやりと「批判性」とか、そういうふうに思ってるだけじゃだめで…………、たぶん、問題点が何かを洗い出して、それを解決するための案を出さないといけないんだ。大学の卒業研究でやったやつや。それで、人に納得してもらえるかは全くわからないけど。
自分がひとりよがりでないという自信がどこにもない。


2/4
落ち込む。不安。少しましになってきたけど、きづいたらまたおなか壊してる。寝込むほどではないけど調子悪い。あんまり予定を増やさないで、人に会う約束しないで、夜まっすぐ家に帰る。お酒飲まない。お湯飲む。片付けとか掃除して、もの捨てる。インターネット上で会員登録して使ってないやつ、メールマガジンとかしょうもないものをひとつひとつ解除・退会。さまざまなものの整理。すっきりしたい。気休めでもいいので


2/5
しかられる。次から次へと不快なことが。ああ、でも、相手の言うことはもっともで、私は感じが悪すぎる。自分でもいやになるし、××のことも正直どうでもいいんだ。たのしくない。目の前に問題があったらそれを消費するみたいにべらべらしゃべってしまうだけ。あーあ。私は××の全てを否定したがっていたが、××さんが××を褒めてたり××が面白いと言ってたりする。自分が全面的に否定されたらたまらない!と思ってはじめて、人から優しいことばをかけてもらってはじめて、他人の全部を、きらいになることはないんだと気づく。あいつの全てが嫌いと言い切りたがる自分の言葉に騙されて呪われてるかんじ。全部なんて、、全部なわけがない。いいとこもあって悪いとこもあって、って当たり前のことに気がつく。


2/5
他人の全部を嫌いにならなくてもいいんだな。嫌いな人の一部を認めたり、好きな人に嫌いなとこあったりしながら付き合っていくんだな。ずっといっしょにいたり、しょっちゅう会ったりしなくてもいいし、もう二度と会わない、などと決めなくてもいい。
もし自分のことを全面的に否定されたら たまらない……。そう思ってはじめて他人へのジャッジがゆるんだ。なんて勝手な。
気づいてみれば、当たり前のことなんだろうけど、「あいつが嫌い」ってことにしばらく夢中になっていて、わからなかった。まあ今も、嫌いは嫌いでどうしよもないが、少しゆるんだ。

また、別の件で反省ばかりしているところに、やさしくて勇気づけられるアドバイスをもらって、胸が熱くなった。「お気づきの点があれば」と自分で指摘をもとめていても、評価は怖く、実際きびしいことを言われて落ち込んだ。ありがたいけど。そんな中、とても暖かみのある「ご指摘」をくれる人もいて。なんだこのやさしさは、と思った。ためになる、たしかにそうだ、と染み入る。新たな問題点に気がつく。おそらくきっと誰のことも傷つけないで、そういう指摘ができるって、すごい。見習いたい。私は前のことにこだわりすぎてたんだなあと気づいた。条件が違うのに、「前はこうしてたから」ということにとらわれていた。私は自分のことを冷静に「そもそも、」って考えられる人だと思ってたけど全然できていなかった。そう、前も書いたけど、できてると思ってたことが今回全然できてなくて、問題点に気づくのも遅れ気味だった。なんだ、全然能力ないし才能ないし実績も経験もないしヤバイな私、と思った。そんなかんじでダメダメだった私に、先ほどのやさしいご指摘をくれた人が、あとから「やってない時より挑戦したあなたのほうが私は信頼できると思います」というメールをくれて救われた。

今日の話はここでいいかんじには終わらなくって、また追ってかぶせるように、いやなことがあった。次から次へとなんなんだ?ざくざくっと他人の言葉が、胸に刺さっていくよう。反省ばっかりもしてられない、喧嘩してやる!と思ったけど、相手の言ってることが私に刺さるのは、もっともな部分があるから。私の悪いところを相手がわかっているから。私がもし、誰も傷つけないで、やさしくユーモアもあって、うまく人に言いたいことを伝えられる、感じの良い人間だったら、なんの問題もないんだった。でも、それはそれとして、やっぱり納得できない部分もある。反省はするけどたたかうよ。そのことでしんどくなってもいいし、相手もしんどくなればいい。周りもちょっとぐらい迷惑かけさせろ。飛び火あびろ。団体の中で、他人に何か言うってことは、それを覚悟してるということでしょう?勝手に納得して「自分も悪かった気をつけよう」などとクールぶって言ってるその足もとを私はグラつかせたい。しつこくつきまとう覚悟が、あるぞ。自分が正しいと思ったことを、言葉すりかえてしゅんとしてうやむやになんて絶対しないぞ。


2/7
さっき食べたインスタントのラーメン、濃すぎてゲロ風味。味はわからんが、においが嘔吐物。ひどい。全部食べた。


2/8
打ちあけ話を、酒のさかなにされたり、SNSで自分の意見を言うための材料にされたりしたらたまらない。でもこういうのは多かれ少なかれみんなやってることで、私もやってるから禁止できない。自由だ。どうぞ、なるべく本人にバレないように、できればその場限りで、どうぞ。本当に困るなら、相談などといって打ちあけなければいいだけだ。信用できる人とそうでない人を判断して分けるのって、みんなやってるって、きくもんね~。こちらが正直になればなるほど、相談相手からは、役にたたないお説教、お叱り。相手だってひっかけるとこをさがしてる。惨事にならないためには、困りはてて相談をするときでさえ事前の計画、そして話す最中も様々な制御をすることが必要で、それはしんどいしめんどくさいからつい、甘えから入ってしまって後悔する。ごめんなさいの気持ちもある。つい、私のことを助けてほしい、話をきいてほしい、と思って話し始めてしまう。そうして返ってくるのは、あなたのためを思って言う、こうしたほうがいいよ、こうしないほうがいいよ、などのアドバイス。つらい!かなしい!なんで?でも私はだめな人間だ、と思うにはじゅうぶんな。抱きついてすりよって頬ずりして頭なでてもらお~と思って行ったら腹さされたみたいな。すぐに役にたたない言葉もいいし、自分を変えることは大切だ、とはまあ、まあ、そうかな、と、わかってはいるけど、問題をかかえている中、さらにしんどさや不快をわざわざ重ねるなんて。ためらってしまう。しかしあとのまつり。相手から放たれた言葉は、心にかみついてしまう。よくできてる。あばれても外れないから、まずはおとなしく。三日か、一週間か、十日か、いつゆるむのかはわからない。もともとあった問題と悩みごとといろいろと、いっしょにかかえて生活を。なるほど、私のためになっている。
説教する人は、老婆心ながら、と前置きするくせに、本当に老婆あつかいしたら火をつけたように怒りだす。そのヒステリックさにおいては私もひどい。何を言われても「説教だ!」ととらえてさわぐとしたら、相手もたまったもんじゃないだろう。元気になったらけんかをしたい。元気になったらその思いつきはアホらしく感じるだろうけど、まともじゃないことをして、恩を仇で返したり、能動的に他人に迷惑をかけてやりたい。頭の中ではところかまわず放尿している。たとえばひとりで、こんなことを書いただけで、本当に実行したかのように叱られる。心の中は自由でしょ?と私は思う。相手は、態度に出てるから迷惑だ、と言う。言うはず。(※実際には言ってない)


2/8
泣けてくるから今はもう何も考えたくない胸が痛い
気持ちが交わるやつがしたい。本当に人が何を思ってるかとかがわかんないんで、せめて言わなければ。伝えなければ。どんな顔をするだろうか?想像とかして。運良く交換できたら最高。そう思うだけで、この強烈な感動は何かしら?酔ってるだけかもなあ、みたいなね


2/10
B5のルーズリーフにやること(やりたいこと・やらなければいけないこと)を書いて折りたたんでかばんに入れている。随時書きたす。やったら線で消す。メモ帳やiPhoneの中よりも一枚ものの紙に書くのがいいと思う。


2/10
情報や、人の意見が流れてくるのを見たくない。
私は本当にいろんなことを忘れてしまってるみたい。楽しかったことも好きなことも。記憶が改ざんされていることもある。今思ったことは今しか書けないから、記録することは続けるが、そのやり方を変えてみる。


2/11
読売テレビ祇園笑者」中川家剛×すっちー観た。テンポ速すぎず、話が、面白い。師匠エピソード味わい深い。


2/14
最近コンビニのおにぎりで、「だし巻と焼鮭」みたいなやつがある。辛子明太子とか。ファミマだけか?わからないけど。好き。


2/14
ずっと車酔いしてる感じ。お腹の調子もずっと悪い。まずは体調を戻さないと。


2/15
ビオフェルミンを買った。お腹をこわしているときは、食べるものをおかゆか素うどんだけにして、くすりを飲んで寝る、というのを続けるのが良いと思うけど、食べる楽しみが減るとしんどい。昨日はサッポロ一番つくって食べた。


2/15
家に本や漫画が届いてると思うとうれしい。


2/15
長澤知之ライブ。よかった。


2/16
松浦弥太郎の『あなたにありがとう。』を読む。とても全部はできそうにないし、それは違うんじゃないかなと思うところもあるが読んでよかった。まねしたいことがいくつかあった。普段から少しずつ意識して行動すれば、良い方向に変わっていけそうだと思えた。また、書いてある通りにしなくても、「自分は思いつかなかったけどあの本に書いてあったふうに思う人もいるんだなあ」と思い出せたりするかもしれない。


2/19
おとといぐらいから気持ちは少しましに。今まであまり興味がなかった自己啓発系の本を読みたくなっている。実際に買っているのは松浦弥太郎マキタスポーツの本、アドラー心理学の本など。まだまだ本は読みたい気持ちが続いてるのでこの機会にたくさん読みたい。


2/20
いつも、ひとりだったらもっと楽しかっただろう、と思ってしまう。人と一緒にいて楽しいのは本当にまれだ。新鮮味をたもって。何回も何回もべたべた会ったりはしたくない。。


2/22
「なんかいいですよね」"なんか"なんかが本当にいいわけがない。つまんないものをおもしろいと言っちゃうそのセンスが大嫌い。変態でない者が変態のふりをしている。公の場でセックスの話ができることがかっこいいの?それに加えて家族の問題、なんかコンプレックス・うじうじねちねちした痛々しいものをおしゃれな格好をしておしゃれな場所でおしゃれな若者が。寒いプロフィール。赤裸々であることにも汗をかいていることにも飽き飽き。


2/23
車で帰るときいつもと違う道を走った。おいピータン!!で、マユがバス乗り過ごして反対側から家に帰ってきたとき、「自分の家」を見てしまう、みたいな話があったがなんかそれに似た感じ。私の住んでいるまちはどこにあるのか?外から帰ってきて山を越える道なんかをわざわざ通って大回りして高いところからまちを見たらすごくきれいに見えて。あれ、ここはまだ雪が残ってるのか、とか。自分の住んでる近くじゃないみたい。道の駅があるような大きい道路、よそから旅行にきた人なら通るだろうけど、近くに住んでいて用事がない場合はなかなか使わない道。最近また少し旅行したい気持ちになっている。すぐにはいけないけど、遠くに行った記憶に助けられて、近くでも楽しめるようになっている。通ったことない道通って家に帰りたい。


2/27
はじめて、「様子をみて自分から喋らない」というのをやった。


3/7
何者にもなれないっていうのを改めてこれから何年間か、だんだんつよく味わっていくのかも。でも今日思いついたのは、「誰かにあこがれられたい」気持ちもあるわけだから、たのしそーにきげんよくしてようっていうのと。


3/9
前よりもう少し黙るようにする。なんかわからんけどすげえしゃべってた時期があった。楽しくて好きでしゃべってるのだが、疲れてしんどくもあった。べらべらべらべら止まらない。自分の口があたまを追いこしていく感じすらした。考えたことを正確に新鮮に伝えるためにしゃべってたのに、もう、考えるよりちょっと早く口からもれてる。なんかこれはやばいんじゃないかと思いつつやめられず自分で自分に毒がまわっていくような。しかし悪口や偏見は面白い。すっきり楽しく生きたいし~そんなネガティブなものなくても生きていけるし~おまえそれ損してるとか不毛だとかみんないうけど悪口とか偏見ってすげーおもしろいものではないですか?きっと、偏って狭いものって。軽快に言い切って、つっこむしろのあるものって、おもしろいじゃないですか。傷ついたときとか自分のしんどいこと心のめんどうは自分でみてほしい。自分の気は自分でちゃんとすませてほしい。ところで、なぜしゃべるの?なぜしゃべりたいの?ひとつは、ヘンゼルとグレーテルみたいに、光る石やパンくずを落としながら歩かないと怖いから。でも、ぎゃあぎゃあしゃべる以外にパンくず代わりになるものもあるのかもしれないし、そもそもそんな「めじるし」とか点を記録することをする必要ないのかもしれない。いろいろ試してはいます。


3/31
不安。かなしい。動いてないからヒマやからノスタルジになる。さみしい。したいことはあるはずなのに。こわいし。


3/31
不安。働きに出るのが怖い。変化を怖がっている。母親が死ぬのが怖い。いつか死ぬと思うと胸が痛くて涙が出る。たとえば毎日家でごはんをつくって待ちたい。自分がアホでなさけない。

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