春かと思った

書いてから一年後ぐらいに公開する日記など

2012年4月1日~2013年4月1日

(教員をしていた一年間にSNS等で書き散らしていたものを集めて載せた)

 

 

4月1日 明日から社会人です。考えると息がくるしい。不安は、自分でやる準備・対策によって抑制していけると思うから、がんばるしかないとわかっているけど、どきどきして何かのひょうしにぶちまけて吐いてしまいそう・・・。仕事は、学校の先生です。*1

 

4月4日 自尊心のないやつは害悪なのかもしれん。たちが悪い、格好悪い。自分がそうだからそう思う。自信がないなんて恥ずかしい、と、おもって、向上していきたい。とにかく仕事が続きますように。

 

ゲー吐きそうって毎日心の中で言ってる 全然吐き気ないときも 誰に向けて なんの話を 用意しているのか 「ゲー吐きそう」っていう比喩をさ

 

4月8日 せつなかったりかなしかったりでたくさん泣く。****のことを思い出したり****のこれからの生活を想像すると・・・。そのほかにもいろいろ。ノスタルジと新生活の不安。弁当をひとりで食べることははたして孤独か?*2など

 

4月9日 会いもしないのに想像して元気になること!誰も自由にできない自分だけのもの 心の中があってよかったなあ

 

「こんな気持ちになれるって僕はついているね」本当にそう思います。心にガチッときて好きだ好きだと思えることそれだけですごーくラッキーです。

 

4月11日 家族みたい、とは言うけど自分の家族全然そんなことないのにね。あこがれのように使う例えですね。家族みたい。

 

4月20日 歓送迎会があった。職場からバスで料亭みたいなところへ。おいしいものいっぱい食べたけどめっちゃしんどいしかなしかった。給料日だから余計泣けた。周りに教師しかいなくて気持ち悪かった。つらかった。老婆心云々などとはいくら歳をとっても言いたくないなと思いました。老婆心という言葉を延々批判している痛快な文章があったら今ガンガン読みたいです。いくら先生になったって、生徒に「そんなんじゃ社会に通用しないぞ」なんて言いたくないって強く思った気持ちと似ています、だって私が社会に通用してないねんもん。でもよくできるいい先生ってそういうことを言ったり「空気読めよ」って言っちゃう先生なんだと思います。空気を読んで社会になじめるようにさせる、それが教育だからです。仕事しんどいなってあらためて思って涙がでてきます。あんなにおいしいものおなかいっぱい食べたのにね。教師向いてないんです・酔ってたんです、この二つの言い訳は一生したくありません。

 

5月4日 こないだ仕事の関係の人に40円もらいました(切符が買えなくて)。お酒の席でその人に説教されたので、腹が立って酔った状態で失礼な態度をとりまくってずっと文句を言う顔でいて、あげく、その帰りにお金をもらいました(40円)。もう会えなくて返す機会がない人です。一生40円のマイナスです。

 

5月15日 ああ しんどいなつまらないなと思ってじっとして、しんどいということについてばかり考えていたら、こうやってどんどんおもしろいところから離れていってしまうんだ。なら踏んばらなければ。夢中でしんどがるんじゃなく、どうせしんどいのならおもしろいほうへ、我にかえっていなければ

 

5月27日 社会人になってはじめての連休だったのでうれしかった。*3水曜、木曜がとくにしんどく、体調も悪く、ずっといらいらしてかなしくて木曜日の朝通勤中、くるまを運転しながらちょっと泣く。事故をおこして仕事に行かない・・・という想像をするも無事に職場に着く。げっそり。授業は一日4コマぐらいやる。木曜はなんか全部うまくいかなかった。生徒に感情的に接してしまい後悔した。汗がとまらない。校長が「子どもたちに理科の楽しさを伝えてあげて!」などと言っていたが、そんな気持ちは忘れた。もとからなかったのかもしれない。実験はつらいもの、という認識である。自分が生徒だったらそんな教員に教わりたくない。でんじろうでも呼んでくればいいじゃないか、と思う。なんかもうやさぐれモードから軌道修正できない。ある日、給食を食べ終わって生徒にかこまれる。子どもはアホみたいにぎゃあぎゃあうるさい。「先生白髪ある!」といって、やさしい生徒たちがわらわらと、私の頭皮から、4,5本の白髪をぬいてくれる。それがみな真っ白で、なんか生きていくのがいやになった。「生きていくのがいやになった。」と言ったら、ある生徒に「白髪ぐらいでなに言ってんの?そんなん染めればいいだけやん!」と言われる。もっともすぎて吐き気がした。放課後は部活をする。木曜日は中学生にまじって試合形式の練習に入った。激しい運動をすると腰痛が悪化し、家に帰ったらしばらく立てない。もちろん風呂に入らず化粧落とさず寝る。金曜は遠足。ハイキング。生徒たちはバスで目的地に向かうが、私は怪我人などに対応するため自分の車で向かった。しかし、渋滞に巻き込まれて生徒と他の先生方を30分待たせるというミス。なんやかんやで遠足終わる。帰ってからコムサに行って、三万円でスーツを購入。以前、私服で仕事に行ったら校長に「教員として不適切な服装」と言われ、家に帰らされたことがあるので、私はだいたいスーツで仕事にいっている。喪服みたいな格好で授業をしていると気分も暗くなってくる。だから新しく、黒じゃなくて灰色のスーツを買った。ジャージを着ている先生もたくさんいるが、私はジャージが嫌いなのでなるべく着ていない。ちなみに黄色いスニーカーを上靴にしていたらそれも管理職に叱られ、「多感な生徒に悪影響」と指摘されたので、私は職場でひとりだけ生徒と同じタイプの上履きを履いている。生徒に影響を与えてもだいじょうぶなように、おなじものを!という小さいアンチテーゼで、そんなことはしなくてもいいし、ただ地味な靴を履けばいいだけなのだが、そんなことをせずにはいられない。靴を履きかえるたびに、そういう自分がいやになってかなしくなる。冬になったらきっと底がうすいから、足の裏がつめたいと思う。これからはいろんなものを着ようと思う。社会人の格好をさぐろうと思う。私は、ある生徒が嫌いで、いやなことをちくちく言ってくるので仕事がいやになってくる。いやなことをいわれていやな気持ちになる。呪いをかけられている。土曜日、家族に「お前が病気で死ぬ夢見たぞ」と言われる。生命保険の営業の人の名刺を探す。心がもやっとしているので、パーマをあてた。美容師が、パーマ液を私の頭にかけながら「どこか気持ち悪いところないですか?」と言った。そのとき全てが気持ち悪かったが言えなかった。今日はどこかに行こうと思い、久しぶりに電車に乗って出かけた。呪いに対抗するために****でお守りを買った(500円)。路面電車に乗って、公園でビールのんで楽しかった。ちょうど音楽祭がやってて*********のライブをみてうっとり。かっこよかった。心にうるおい。そして、**さんと話せてよかった。少し買い物して、はじめて占いというものにいった。生年月日を紙に書いた。「血迷っている自分を楽しんでいる」という意識をしながら、本当は自分は血迷ってなんかいない、という確認をする。占い中は、ずっと笑いそうだった。失礼だったと思う。占い師の話は終始不明瞭だったが、六月になればいいことがあるということだけわかった。だから仕事をがんばろうと思った。

 

5月31日 遠足の写真見てたら、生徒がなんかみーんなカワイイ!!!全員かわいい。私はこんなカワイイ人たちに囲まれて仕事してたんや!って思いました。仕事しんどくても忘れてはいけないことがある…ってことに気がつきました。

 

6月2日 こう言いたい、っていうのがあるのにその通り言えないのが情けない。頭の中では言えるのに。一生このままかもしれない。ということは私の思っていることは私しか知らないってことになる、誰にも伝わっていない、全部、それってヤバい。泣いてしまう

 

6月3日 なんか楽しいことないかなっとふにゃふにゃの心意気で一週間過ごしたものの休みがなければそれももたず崩壊してしまう。今日もしんどかった。休みがない・・・と思うと人生や自分の身が切り崩されていくような気持ち。大げさかもしれん、でもけっこうしんどい。元気が満タンだったら、つらくならないようなことでもつらくなってしまうので・・・休みたい

 

仕事で子どもが怒られているのを聞いていたら、いつのまにか自分も生徒の立場になっていっしょに怒られているような気分になっていた。暑すぎてあたまがぼんやりしている。中学や大学で先生にばりばり怒られたときのことを思い出した。強く叱責されて、ダメージうけてるときしか言われたことが頭に入らなかったり、わかってなくてもわかりましたと言ったり、教えてもらったことをすぐ忘れたり。叱られるたびに、ピンチになるたびに、次からちゃんとしよう努力しよう改善しようと思って結局今まで何も変えられなかったということを思い出したりして苦い。そういうのがあって仕事がんばろうって思うのでモチベーションでもある。成長とか吸収という言葉は疑わしい・・・。ただ私はこんなことをした、こんなことができるようになったと具体的に言えるようになりたい。怒られながら何人かの生徒が泣いていた。生徒が泣くのを見たらいつも胸が締めつけられる感じがする。でもそういう、本当の意味では自分が傷ついていない、耐えられる程度の軽度の苦しさはきらいじゃなくてむしろ積極的にうっとりあじわう。「ああ、この子は今、本当にかなしいんだろうな」と想像する。大人になってよかったなあ

 

6月13日 自信を持ちたい。手がかりは無し

 

6月17日 「殺すぞ!」も「死ね!」も言わずにまじめに生きてきたのに

 

6月18日  しんどいのもいやな気持ちになるのも自分の能力の低さによるものだという考えに最終的には行きつく。やめるなら「向いてないから」とか「合ってないから」じゃなく「やりたくないから」といってやめたいもの。そういう潔さを夢見る一方で、理想はどうあれ目の前のものと戦うんだ、と今日思いました。ぐだくだ理由をつけて、立ちすくんだり逃げたりするのではなく、戦う。自分の理想と違うことも言ったりやったりしながら、それでも諦めず投げず前に行く!たたかう気持ちひとつ。そしたら、なにもこわいものはないと思えます。(ほんとうはあります)

 

6月19日 まいにち本当に非文化的な生活をしてる、自分のせいなんだけれど、これはどうにかしなければ

 

7月4日 養蜂、車検代行(?)、電気水道工事等、よくわからんけどなんかいろいろやってる教頭から今日、トマトを買わされた。*4帰ろうとしたら小声で空き教室に呼び込まれ、袋にトマトを詰めながら「明日500円持ってきてこっそり渡して」って言われた。なんかもういやんなった。私はちゃんとしっかりなめられてるんだなと思った。生徒にもなめられてるし、こういう、当たり前にやさしくてエライ人からもなめられている。教頭が校長の悪口を言うことで、職員室での自分の立ち位置をかたいものにしていくのを見てても、私のようなペーペーにまでこそこそと悪口や愚痴をこぼしていても、このおっさんはいい歳してアホなんじゃないか?ぐらいにしか思わなかったが、「500円持ってきて」っていうせりふは本当になんだこれは、と思って予想外すぎてフツフツした。面白かったけど、いやんなった。なめられていることに関しては、ああ、なるほどな、当然当然、と思った。自分のことを褒めたり評価したり、ほんとはもっとできるスゴイ子だと思ったりしてるのは本当に自分だけ。自分のことをイイコイイコできるのは自分だけ。心の中で何を思っていても、自分が思っているのと違うように外からは見えている。それはあたりまえ。黙っていてもおとなしくしてても自分の強さや味わい深さはにじみ出たりしてないんだ、と改めて思って、と同時になんかぼんやりと自覚もなく何かを期待してたんだ私は!と思って超いやんなった。だいたい私はトマトがきらい。そう思ったら、本当に腹が立った。一回いやんなってから、どうするかなんだろうな、とも思った、それを、何も思いつかないうちに忘れていくのかな。えらいひとの机にトマト投げてぐっちゃぐちゃにしてから仕事辞めるという筋の妄想を明日から通勤中にすることになる。なめられるくらいまじめなので、妄想ですら仕事バックれられない。いやんなった。

 

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7月12日 マイペースって言葉久々に聞いた。自分がマイペースであることよりも今は、他人から「あいつはマイペースだ」と思われるように行動していくことのほうに興味がある。それは実りつつあり、過ごしやすくなってきた。そうやって有無を言わさなくしていって・・・それでいいのかな?と思うときもある。

 

7月22日 「休むために働くわけじゃなく従うために学ぶわけでもない」これはスピッツアナキストという楽曲の歌詞。それから保坂和志の「働くことに思想はいらない思想がなければ怠けられない」*5・・・これらの言葉が、最近は頭の中ぐるぐるしています。

 

7月23日 友達と別れたあとさみしくなった・・・というだけのことに気づくのに何時間もかかった

 

9月7日 いま目の前にあるものを愛そう といつでも思ってるけど その気持ちを達成できたことがない。達成なんかない。目的が、それを手に入れることではないのだから、達成なんか、ないのかもしれないが、いつも、いつかは別れがきてしまうもの。具体的に今なにをすればいいのか。

 

9月21日 肌寒くなってきた。季節の変わり目のにおい!ゆうがた放課後のグラウンドとかヤバイ他人の青春の香りを嗅いでいる。最近は日中鼻水が止まらない(アレルギー性鼻炎で)。くすりもききません。いつか、学校で働いてたってことをキュンとして思い出せるような良い思い出にできたらいいです。思い出づくりしかモチベーション無いの、って思ったら薄っぺらい情けないアホらしくも思うがまあ気休め気休め・・・・・・。落ち込まないようにかわるがわる、できるだけ気持ちよく生活するための考えかたを小さく細かく見つけ出していきます。固執せず。秋ってたぶんぼうっとしてたらすぐ終わるからな

 

9月28日 今日はいやになることが五個ぐらいあった。まあそういう日もある。学校というのは本当にダサくて暗くていやなところだと思った。心の弱いのむきだしのクソガキがそこらへんうろうろしては他人に暴力ふるってるんで普通の感覚ではもうアホらしくて立っていられません。私は今日そこで座ってしまいました。えらい先生というのどんなにアホらしくても愛をもってちゃんといちいち怒って立っていられる人のことをいう。

 

9月30日 「たとえ一年で終わるオケでも この時間が無駄になることは絶対ない」のだめカンタービレのなかでも特にガツンとくるこのセリフ、最近よく意識する言葉で、思い出すと奮い立つような気持ちになります。自分の場合は、仕事を、もともと任期の一年かぎりで終わろうと思って恐る恐る、いやいやながらに始めたのですが、毎日辞めたいなって思うその中で、やりたくない仕事の中にもやりたいことがあるってことに気づいたりとかそういうときに、ハッとして頑張ろうって思うことがあります。辞めたいし休みたいが本当に逃げだすような人にはなりたくない、成長したいなって気持ちがすこしはあって。無い向上心をどうにかしようと思わないけど、つらいときに辞めたいって気持ちを頑張らない言い訳にしないように・・・・・・千秋先輩のこのことばを思い出します

 

11月9日 平日は始まってしまえば終わってる。日曜のよるとか月曜のあさは しんどいなど~しよ~って思ってても。がんばろーと思わなくってもいつのまにか最低限なんやかんやどうにかなるよーにがんばってる自分エライ

 

「今しかできないこと」も実は工夫したら後からでも選べることだったりするのかもしれない。でも、出会いと別れはバンバンやってくる。出会ってる最中に、毎日会える期間中に、あ~これ近々別れくるな~と予測できてもそれをどうにもできなかったり。どうにかするすべがワンパターンだったり。

 

11月20日 たいしたものは手に入れてない(たいした量でもない)のに、ちょっとでもゲットしたら手放したくないっていう気持ちが働いて、それ前提に次のやりたいことを選んでる・・・こわい!もともとなかったものなのだからいいじゃないか!せめて頭の中ぐらい荷を置いて、両手フリーで!

 

12月5日 管理職に来年どうするか聞かれてやめますと答えた。最初から一年(任期)で終わろうと決めてたのでふつうに。でも、家帰ってから、「え、なんで私やめんの!?」と思ってもいる。びっくりしている。やめるのか、私。生徒かわいいのに、やりたいことも出てきたのに。でもきっとやめる。慣れてきたし死ぬこともないし誰にもやめろって言われてないのに、きっとやめる!ひーーーさみしいなあ、ぶるぶるふるえます、この人生の変化の兆しに。いやなんてことないよくあるやつ、最近の若者が一年で仕事をやめるだけの話。ただ私は、さみしいなんて思えるようになった自分にびっくりです。感動といってもいい。これは最近の変化だから、それに関してもぶるぶるする。はたらくのがいやでいやでしょうがないのに。今でも。でもさみしい!うえええ。私は本当にアホなんですけど、アホみたいなことを言いますがコミュニケーションの大事さ、みたいなものが最近わかってきました。これからも何回も忘れて、くりかえしくりかえし微妙にずらして重ね重ね、違う人に教えてもらう。おしゃべりをしたほうがいい。相槌をうったほうがいい。ちょっとしたときにありがとう、ごめん、すみませんといったほうがいい。それは生徒との関わりの中でじわじわわかってきたことです。しょうもない雑談したほうが授業がうまくいくとか。やわらかくしておいてから、本題に入ります。だからさみしい。たくさん喋ったのにさようならするのはさみしい。でも、たのしいとか慣れたとか別れるのさみしいなってことが続ける理由にはならないのでさよならです。しんどかったことを忘れて惚けているだけですね。残りの時間を大事にします。ただ私は一年っていう任期がついていなかったら絶対に先生になんかなってみようとも思えなかったと思うので、すごくよかったです。

 

12月21日 職場の忘年会(蟹)つまらない。むかつくけどへらへら笑って過ごしちゃう。頭痛頭痛。酒もまずいし蟹もまずいし仕事しんどいのに蟹まずいってじゃあ幸せはどこにあるのか?という考えに至ってしまいます。友だちに会いたいよ

 

1月6日 明日から本格的に仕事が始まると思うと、気持ちが暗くなってきます。具体的に何が嫌なのかも思いつかないのですが本当に絶望に似た感じ。思いつかないだけで、嫌なことはたくさんあります知ってます。だけどそこまで嫌だと思うほどでもないこともひっくるめて嫌がっているのもたしかです。頭が衰えていて、いろんなことをすぐ忘れてしまうんで、毎回ぼんやりしたことで気分の悪い時間を過ごしてしまっています。心がどうのこうのとか、落ち込みやすい性質とかなんとかいうよりも、頭がアホなんだと思います。自分でじぶんの気持ちや人生の感じを、幸せハッピーに仕立てる力がない。まあそんなことをいっても自分のことをまるっきりだめだと思っているわけではありません。何回も何回もそういう気持ちをどうにか時間で乗り越えてきたんだから。自分の味方は自分しかいないのだから・・・という感じ。自分がどんなにアホなことをしても、私は私に怒りません。「まあいいよいいよ今からどうする?」みたいな声かけを頭の中でして。怒ったり文句言ったりするのは、ぼーっとしてたら他人がしてくれるし。それがしてもらえない環境になったときには、自分の立場を変えていかないといけないです。今は、大丈夫。つまらない仕事をしてストレスを感じてお金もらって楽しい、まだぬるめなぐらいですね。行きたくないけど。

 

1月11日 ちょっといいお菓子の詰め合わせが届いてわざと声をあげて喜ぶ母のようすを写真に撮ってアホすぎて二人で大笑い。私や妹が大きくなってから、私と妹と母は子どものようにわざとアホなことを言ってふざけて少し遊べるようになりました。きらびやかなお菓子と母の喜ぶ顔と背景の生活感あふれる部屋が一枚におさまってて貧乏くさすぎて、もし親死んだらこの写真見て絶対泣く

 

1月14日 しばしば、「社会(仕事)はそんなに甘くないぞ。しんどいぞ」という忠告をされます。自分はそれを言われるのが死ぬほど嫌いなので、「たいして意味のない害悪な説教ぜりふだ」と思います。黙って、口を開けて話を聞くことにしてます。本当は、「意味がなくて害悪だから嫌い」なのに、「嫌いだから意味がなくて害悪だと思ってしまう」と書いた。※社会という言葉には反抗ができない。

 

1月18日 その日が誕生日だった男子生徒が、学校で会う人会う人に「今日なんの日か知ってる?」と尋ねまくって、他の生徒や教職員、たくさんの人に「おめでとう」と言わせていました。みんな、よかったね~と何回もおめでとうを言って。子どもの誕生日はそうあってほしいな~と思いました。たくさんの人に何回でもおめでとうおめでとうと声をかけられて、きょうであの子は何歳になったんだと認識されて、プレゼントなんかなくとも祝われるべきなんだと思いました。特別な一日にみんなでしたい。

 

1月19日 *******の「*****」という公演を観るために東京に行きました。私は、自分が演劇をやりたいのにずっとやれていないから、演劇を観るのがちょっとこわいと思っていました。それでも、今はとにかく観に行こうと思っています。たとえば私は「*****」が好きで、自分がやらなくても自分が好きと思える演劇は既にあるのですが、それでも演劇をやってみたいと思います。そんな微小な衝動で、うそくさい夢に固執しているだけかもしれないけど、しばらくは演劇を観にいくことで、演劇をやりたいという気持ちをふくらませていきたいです。そして実際に演劇をやりたいです。

 

1月24日 学校ってしんどいな。先生は制服じゃないからラクでいいなって生徒に言われる。そうですよ。おとなをうらやましがってほしい。おとなっていいな~って思われたい。子どもに健全に羨ましがられる楽しそうな大人になりたい。大人になったら、楽しいだろうなと思いながら大きくなってほしい。

 

生活というのは習慣のことだけじゃない。特別なことを一回やるだけでも、毎日がしばらくがらっと変わって見えたりする。それがすべてを変える要素にはならなくても、じわっと変わっていくきっかけになったりする。だからどっちを選んでもいいんだ。

 

1月25日 「ゆううつというのは、状態ではない。わたしは、14歳ぐらいからずっとゆううつなので、今がたまたまゆううつな状態なんじゃなくて、わたし自身がゆううつな性分の人間なんだ。」このことにさっさと気づき、認めていたら、わたしの高校生活はもう少しらくだったのではないか。

 

1月29日 今日の自分はだめだった。でも、なにがだめかわからないし、じっくり考える時間もない。ねむくて。つかれてて。でも、指だけすっすと動かしてインターネットをする時間はあるのか。日々なにをやっても「自分がだめだった」という答えで終わらせてる感じ。なにがだめなのか考えないと、謙虚さすらゼロ。

 

まじめに何かを考える気もないのに、考えることに没頭するつもりもないのに、問いだけ提示してしまう。便所用のカレンダーでも作りたい。こうしてイラついてるときの吟味のしなさ、「言い切ってるからこれでいいの」系開き直りはみっともないから控えたい

 

1月31日 現状を悪くとらえすぎてた。自分に能力がないのは事実だが、そのことだけが諸悪の根げんではない。ずらしていきたい。あれも悪い、これも悪い、といったふうに可能性を増やしていく。自分が思ってるほど自分は悪くないが、今思ってること以外にも悪いところはあるはずだ。

 

2月1日 学校の嫌なところを変えていく力は無いけど、ひとりひとりの生徒と明日からどう関わっていくかっていうのは、今から自分で決めて、自分の規模で実行していけることなので、できるだけ良いコミュニケーションをはかりたい。でも、これはきれいごとで、学校に行ったら、暴言や暴力や給食の豆がとびかっていて、すぐに心が怒りとか呆れとかでいっぱいになる。

 

2月5日 やる気のなさは悪。職場でやる気ない人ランキングとかがもしあったら上位に入ります。

 

2月6日 あーー行きたくない……こんな朝を何回くりかえすのか。顔黒い。服適当。

 

Amazonから漫画届くぐらいしか楽しみがない。。映画でも観に行こう

 

2月10日 子どもに対して「本人のやる気の問題」とか言って切り捨てるのは横暴だと思う。自分の部活動の経験を振り返っても、怖い先生や先輩、いっしょにがんばる仲間などがいたから最後まで続けられた。私が自発的に能動的に頑張ったわけじゃない、ゼロからやる気を生み出したわけじゃない。やる気を引き出す環境づくり、それは大人の仕事。自分で目標立てて自制してひとりで頑張って成長していける・・・そんな子もまれにいるけど、他の子どもにまでそれを当たり前のように求めるのは無理な話。ただ、やる気のないやつを見ると腹が立ってしまう。本人のやる気のせいにするのが最もらくなんだ。

 

しあわせというのは状態じゃなく気分なんだなと今日は感じた。じいんと気持ちをあじわうこと。そんな時間が今日、何秒かあった。出来事、事実とか結果のような「状態」じゃなくて、自分の感じること。一時的で不確かだから、実感はこの手からこぼれ落ちていくだろう。そうして忘れてしまったら、今ここにないのだから それはうそだ、そんなふうに決め込んでしまうときがくるのかも。まあそれでもいいけど、忘れないように書いておきたいと思った。私がじいんとしたことを。

 

2月12日 ごちゃごちゃ言ってくる人たちを、うるさいなあ、と一言でやっつけたい(一喝したい)。だけど、世間に対してそれができないから、できたことがない人生だから、そのかわりに仕事をやめたいのかもですなんだそれ。しかも、「ごちゃごちゃ言ってくる人たち」なんて、本当はそんなにはいません。いるのは、頭の中。私の頭の中に、私に文句を言ったり説教したりしてくる架空の世間がいるんです。その世間からひとつひとつ自由になっていく、その考える作業をたくさんたくさんできたらいいです。

 

2月12日 子どもの言うことで、まんまと傷つきます。わざと人を傷つけるようなことを言ったりしたりしてくる子もいます。傷ついたらそれをなるべく味わおうと思っています。口に入る大きさだったら。自分の中のマゾっ気をひっぱりだしてきて。鈍感にはなりたくないけど負けたくもないんです。他人の言動で自分がつぶれてたまるか、と思います。先生と生徒というのは普通の健康的な人間関係ではない、と思うことがあります。気分が悪くなるような叱咤のあとでも、またもとどおり、ケロっとしておこうと思います。

 

2月14日 今日は、生徒たちはそわそわ、色めきだっている感じがしました。巻き込まれて私も浮かれてしまいそうでした。思春期パワー・・・・・・、その雰囲気に触れられるってことは、もしかしたらすごく素敵な経験をしているのかもしれません。いつもいつもいつも後になって「今思えば楽しかったな」って思う、そんな時を今だって過ごしているはず!思い出作りしてるっていう自覚をもってても、めんどくさいことはめんどくさいししんどいですが。でもまあ今日はちょっと雰囲気、楽しかったな。チョコレートもたくさん食べました。

 

職場の男前がチョコ配られるたびに「これ本命?」と切り替えしていてモテる奴ってすげーな!!と思ってとても感心した。普段冗談言わない人の切れ味ヤバい。異性のかっこよさにふれるとすごくうれしくなる。べつに好きにならなくても感心したい。すげえなって思わせてくれる人が周りにいるってことがうれしくて、たまにはそのようにして、圧倒されたくて。その小さなことは、たとえ俗っぽくても、自分の人生や生活を肯定する方向に一歩近づく。毎日毎日そんな感心に出会ってわくわくしてみたい。

 

2月17日 環境を変えれば習慣も価値観も驚くぐらい変わる。だから今行けないちょっと遠くに、もし足を運べなくても気にしない。。今いる場所でやることをやっておく。 

 

2月18日 家に帰って食事してたら、職場から携帯に電話がかかってきた。うわ最悪何かあったかなとこわごわ出たら、教頭からで、二分後に携帯からかける、とだけ告げられて切られた。とりあえず二分待ったらまた電話がきて、何事かと思ってたら2500円のいちごを騙されたと思って買ってくれということだった。*6ハァ?と思ったが相手がもうこれからの段取りを話している。15分後に自宅近くのホームセンターの駐車場に呼び出される。押し売りじゃないから!と軽トラで(遅刻して)やってきた教頭から箱を受け取り帰宅。なぜ夜に仕事のやつになぜ呼び出されなければいけないのか。断らなければなにをやってもいいのか。おいしいいちごだったら何をやってもいいのか。グイグイ要求したもん勝ちなのか。だいたい私はいちごが嫌いなので、教頭がおれのつくったいちご、おれプロデュースのいちごケーキなどとデジカメでとった写真を見せられるだけでいやだったのだった。朝から携帯でGoogleに「仕事バックレ」と打ち込んで吐く息全部ため息にして事故る妄想しながら出勤しているぐらい働きたくない気持ちが高まっている今、こんなくだらない出来事が起きるとは。しかも仕事的に何からも逃げられなくて忙しくてとにかくやるしかない時期にこんなしょうもないつまらなさを感じたくなかった。マジで何の癒しもない。

 

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教えて育てると書く系の仕事をしているのに「アホは死なないとなおらないのでは、」と思うときがあります。そやって諦めたりめんどくさがったり安易に結論づけたりしててはできない仕事なんでしょう。だけど私はすでにめんどうだやっかいだと感じまくっているから、それはこの仕事をやる能力や適性が無いってことだなというふうに考えています。

 

2月22日 懇談会おもしろかった。保護者の話を聞く。家での子どものようすなど。私たち教員は学校での子どものようすを話します。親御さんたちはすごいなと思います。人間を十何年も育ててきたってすごい。ひとりで大きくなったような顔してる子にも、どんな子にも、バックグラウンドがあるんだな、と思って感動します。すごく、未来ってかんじがして、ああこの人たちにはきらきらした将来があるんだろうなと思ってきゅんとします。親ってすごいな。

 

2月23日 忘れたくないことがいっぱいありますよ 何を忘れたくないのかを、もう、忘れていってるんですけど ぽろぽろ

 

さなかにいて楽しいってあんまりないな。距離をおいているとき、少し休んでるとき、あたたかい部屋帰ってきたときに「楽しい(楽しかった)」って思ってるんじゃないか。そうしたら全部のことにおいて終わったあと「楽しかったです」って言える。機嫌のよい人になりたい

 

2月27日 やるしかないって言葉は非常にたよりないけど、やるしかない。ただそれだけであんま威張って言うことじゃない

 

3月3日  ほとんどの時間、我に返っているので、ひとりでないつまらなさに耐えるのがとてもしんどいです。 そんななか、自分が何に没頭できるのかを知っているのなら、それをやればいいんだと思いました。

 

3月4日 久々にがっつりしんどかった。楽しくないけど面白みはあるとか、味わいぶかいとか、そんなふうに無理やり肯定していることを、「本当にそれでいいの?」って聞かれたら一言でもうグラグラ。泣きたくなった。

 

3月6日 この一年が勝負ごとだとしたらもはや勝利の見込みなし。しかしわたしは毎日負けてたまるかと思っています。明日も明後日も。今を踏みしめて生きていくしかない

 

3月9日 ずっと同じズボン履いてるな…

 

3月11日 通勤中、車ぶつけてあっけなく死んでしまうこともありえる。明日死ぬとしたら、そういえば、ここまでの人生を愛してるとはとても言うことができない。漫然と明日以降の未来があるって起こりもしてない夢を見てるからこそこれまでの人生を愛せてたということ。こんなところで死んでたまるかと思う。

 

3月12日 しんどいな……

 

3月16日 卒業式だった。三年生の授業はひとつも受け持っていなくて思い入れもあまりないというのに、雰囲気に感動してうるっとした。私はまだ、来週も授業があるけど、やっとここまできたなあ、という感じ。大詰め。本当に長い長い一年。

 

けんかをしたい。かどをたてたい。

 

3月27日 積み上げていくものが何もない。ほうっておいた経験はくさってしまう。結局、石の上にも何年ってことなのかと思うし、そうではなく、覚悟の問題なのだ、とも思う。思い出づくりを目的とした人生はいやだ。

 

4月1日 無職一日目。それまで強烈に感じてた忙しさがゼロになった。3月はとても忙しかった。部の試合がたくさんあった。遠征も。31日で仕事をやめたが、30日まで6日間連続試合でしんどかった。でも、その瞬間は感じることができなかったけど、たのしかった。きっとたのしかったと思う。外に出て天気がいいってだいすきだ。そして、この競技おもしろいなって、いつも静かに感動してた。でもこの忙しさも忘れてしまうのかもしれない。子供の名前や顔なども。だいたい、何か不安やしんどさがあったらそれから逃れようとしてしまうけど逃れたら逃れたでまた別の不安・しんどさで覆われる。。強さはちがうかもしれないけど。それでも環境を変えていきたい。私は、辞めることをたのしみにして(夢見て)働いていたので、その夢がもうみられないという喪失感が結構ある。どうしてそんなこともわからなかったの?最初に決めたことを変えられないなんて柔軟性がないの?というふうに考えることもできるけど、私は私の人生一回目ですから・・・・・・・実際に感じてるコレはここまでこないとわかんないようになってたんだ、ということにしておいて、これをふまえて今日これからの生活ですね。まあ、ためいきは出る。

 

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 仕事をやめる瞬間の快感はどんなもんかと期待していたのに、実際やめたその日は、さみしくてわんわん泣いてしまいました。約半年前のことです。記憶は改ざん・上書きされて、自分の中ではもう「仕事をやめるのは気持ちがいいこと」ということになっていました。いつでも今の気持ち、今の状態を信じていますが、前のことをちょっとでも思い出せるように、いちいち書いておきたいです。(9月13日)

*1:勉強できないから自分には絶対無理な仕事だと思ってて、もしも一年乗り切ったら自分を褒めよう・苦手なことをわざわざやる一年にしようと思って始めた。出稼ぎに行くような決意で。

*2:自分の机で昼食をとっていたら校長に「そんなところで孤独に食べてないであっちでみんなと食べなさい」と言われて、もう食べ始めちゃったんで・・・とか言って断ったけど何回もしつこく言われて、無理やり年齢の近い教員と食事をした

*3:運動部の顧問してて休みがあまりなかった

*4:家族が喜んで食べた

*5:「この人の閾」

*6:家族が喜んで食べた