春かと思った

書いてから一年後ぐらいに公開する日記など

2014年4~6月

4/3
思ったことを頭の中で言葉にしている。言葉にした「感想」の印象は強くて、他のことよりも記憶に残りやすい気がする。気がつけば、思い出がそれ中心になってしまう。もっといろんなことを見たり思ったりしたはずなのに、忘れないで残っているのは、言葉にできたことばっかり。日ごろからいろんなことをいろんな言葉で思いたい。


4/4
アメトーーク家族オカシイ芸人おもしろかった。あんなふうに面白く話せたらいい。はさみの刃で背中のかゆいところをかいている親のすがたなど


4/22
気分のうつりかわりはげしい。一週間はすぐすぎるけど、考えてることがぐんぐん変わっている。あれもアリ、これもアリ。おとといあたりから歯がとても痛い。仕事終わりに映画観に行くのが楽しみで頻繁に行ってた時期があった。そのときはそんなに興味のないものでもとにかくたくさん観に行ってた。強いストレスを受けているときは、映画館に行くことそれだけでうれしくて、楽しみになっていたから。今は暇で金がなくて外から受けるストレスもない。不安はある。で、つまらなさそうなのをわざわざ観に行こうと思わない。面白そうなのも観に行ってない。状態。


4/25
化学なんかやりたくないな。あきらかに苦手意識のあることを選ぼうとするのやめよう


4/29
朝倉健太が4年ぶりに勝利していたらしい。


5/8
仕事は退屈。気分どんより。せめて、ささいなことの習慣づけを。


5/11
(お笑い)芸人は泣いたらダメって聞いたことあるけどうそじゃない?イッテQ 女芸人軍団 in アメリカ、おもしろせつないかわいい


5/14
土曜日は高校の前を車で通った。今日は用事があって大学に行った。なつかしい。なつかしい。ここ一年ぐらいずっとこんな、ひまついでに、やたらと何かと、なつかしがっている気がする。高校は毎日楽しくないつまらないと感じていた。今思えばそれなりに楽しかったと思えるが。かよっていた高校のあるまちのことを、当時好きでなくて、くそいなかで何もないと思ってたけど、今周辺を車で走ってみたらなんか情緒ある。もっとあっちのほうにも歩いて何か見に行ったり遊びにいけばよかったのに。学校と駅の往復のみ、それすらもとても長く感じてた。


5/16
ざっくりハイタッチ「後藤のもっと色んなツッコミさせんかい!」を繰り返し観る。ちからづよいおもしろさ


5/18
guで980円とかのズボンを色違いで二本買った。去年は三本買った。


5/20
なにをやってもだめなのか
と思うのが遅い気がする
何かずっと中途半端
まっとうに仕事につけていない。とりこぼしが多い。同じ失敗を繰り返す。
まっとうな道にも乗れないし、人にどう思われるかなんて気にしないでやりたいことをがんがんやってる人にもなれてない。
勇気がない。腹をくくれない。
力のある人だったらどういう選択をしていくのか?という視点で考えてみるのもいいかもしれない。
いつも、どうせだめだ、というところから出発しているし、うまくいかない原因は自分が悪いからというところに落とし込んで終わってる。
完全には足を止めないこと。深刻にはならずに真剣に。


5/20
友だちのおかげで昔の思い出もより好きになる 楽しかったよなと思える


5/22
「続・最後から二番目の恋」の結婚式シーンで泣く。前作もよかった。すきなドラマ。


5/26
長所も短所もわからないでいるのかも、と気がついた


5/27
【やりたいことをやらなければいけない理由】
東村アキコ『かくかくしかじか』で、「絵を描くを意味がないこととバカにしてて」というようなせりふがあった。それを思いかえしていた。私もバカにしてたな。絵はやってないけどその自分の状況とか環境とか、やってること。バカにしてるうちはうまくいかない。意味がないと思いながらやっても身につかないし、頭に入らない。楽しくないし面白くない。私は、たとえば大学をバカにしていたし、就いた職業をバカにしながら始めた。バカにしながらそれを選び、その場に居続けるなんて…。自分はこれをバカにしてるのだから、本気じゃないのだから、本当にやりたいことは別にあるからと、頑張らない理由をつくって不平不満を言う。やたら批判的な態度をとる。もんくをいう。それすら(尊重されるべき客観的で冷静な)意見だというかおをして。まだ本気でやってないのだから成果が出てなくてもいいし、いつかは、ちゃんとやれば、本当は、って、手をつけてないままの夢が残る。たとえ嫌々やってても、どんなに嫌なことでも面白みは発見できるし、楽しい出来事も出会いも訪れるし、好きにもなる。それってたちがわるいと思う。ああ、あれに対してそうだったし、あの人に対してもそうだった、と思い出して苦く、恥ずかしい。そのつど反省ぽいことおもったが、まだまだ考えきれてないことあった。たくさんのことを忘れていってるし。適当なこと、都合のよいかたちでだけ記憶してるし。とにかくどこまでも自分を正当化してたが。


5/29
若くてかわいいって最高。ありがたい。よいものを見せていただき最高の気持ちにさせていただきありがたい。「かわいい」とは何か誰かを形容することばであるだけでなく、私の気持ち。うれしい・かなしい・かわいい、というように。「かわいいって言ってる自分が好きなんでしょう」みたいな定番の指摘せりふはもうどうでもいいんですけどあえてまだまだそういうこと言う人ってかわいいもんみて気持ち良くなったことないの?って感じ。かわいいって気持ちは最高


6/10
(でも自分はもう)若くてかわいくておしゃれな女の子にはなれないのかな?と

2014年1~3月

1/11
他の人の作品がつまんなかったらいいのに!というアレ。なんとか系の、どこどこの人たちに対してすげえなあ~と思うアレ。観に行って、おもしろかったらラッキーだし今好きなものはこれからも好きでいたいし出会う努力もしよう。つまんなかったらそれはそれ。そしてそういうことを、人に言わなくてもいいんだ。おもしろい思いつきだけ言えばいい。遊びだ。他にすばらしいもの、圧とう的にかっこいいものがあってもおちこまなくていいんだ


1/16
なにやってんねやろって思いはつねにあり。
自分が自分のしてることに対して、そんなふうに思っているのに、
たとえば他の人が、わたしのやることをばかにしてんじゃねえかという予感がしたら、
はらわた煮えくり返る。
なめくさったまねをしやがってこのやろう、と怒ります。
こういうのはまじでしょうもない。
なにもしてないし、なにもないし、なんでもない。
なのに、時間はかかるし、イライラ。
自分の不快なんか舌に載せて運べるレベルのやつですから全然大丈夫ですし、
まあそんなもんやなとは思うし、それはそれとして泣きたくもなる。
抱えきれないほど大変で、っていうんじゃあなく、なんかもう、あきれてしまうんです。
いろいろなことに。しょうもなさに。
おいおい、なにがあったんだ。
なにもないよ。
なにもないのにこんなかんじ。
どうするか?
わくわくする気持ちにいつでも戻れるようにすること、
そのやりかた、そのための体力
そういうリフレッシュをはかれるようになったら大人なのではないか。
今日は人に会ってそれによってすこし元気になりました


1/16
なんだそれ。と思うことが多い。グーでなぐりたい


1/23
使っていない携帯電話や充電器、バッテリーをリサイクルに出した。auショップへ持ち込み。破棄依頼で一筆書かされる。レアメタル、だけでなくプラスチックなども再利用されるらしい。


1/23
省みるときのバリエーションがとぼしい。「自分が悪い」だけでは間に合わなくなってきた。てゆーか、だって、私悪くないもん。私悪くないけど、でも、ふりかえって、反省をしないといけないことはあり。それを、どんな言葉で、どうやって始めるのか?


1/26
サンライズ瀬戸出雲で東京にきた。寝台料金なしで乗れるノビノビ席っていうのがあってそこで寝た。大阪駅0:34発なんで伊丹で終電まで飲んで乗車してぐっすりねむれた。足のばせるからだるくなくて朝も早く着きすぎずよかった。


1/26
国立西洋美術館でモネ
あとムンクもやってた。好きな「マドンナ」のリトグラフをみた。アルファとオメガ。


1/26
東京まで芝居観にいったのにまんべんなく寝ちゃった。寝るほどつまんねーってことではなく、私がすごく疲れてて睡眠不足だったとかでもなく、なんだろうな真っ暗すぎてトントントントン寝やすいリズムだったのかもしれん。しかしもったいない。ところどころは起きてたんで、かっこいいなーすげえなーとかは思ったんだけど感動できなかった。寝てたからな。演劇とかを観にいったらロビーなどで公演の関係者と会って話できるみたいなばめんがあって私はあれがあんまり好きじゃないのだがチケット代を劇団員の人に手渡しする約束してて、会うことになっていた。お世話になった演出家とも会った。むかしワークショップでいっしょにやって今、その劇団に入団した俳優さんとも。会えてうれしかったけれどすこしうるうる、ぐだぐだしちゃった。


1/29
昨日は失態。ああいやだ。みっともないようなくやしいような。泣けてしかたなかった。はっきりした理由はわからない。いろいろあって自分はえんげきしてない人、向こうの人々はバリバリしてる、んでもう大きく差がついてしまってる相手になんかされないしどうでもいいこと。それで改めて思い出していたのは、こないだ××さんに会ったとき▲▲さんのwsがトラウマになってて…と××さんが言ってたこと。私はそういうのきくたびに(リベンジとか、)何をそんな、と。そこまでのことなのかって思ってた。でもやっぱ自分もこだわってて、そこに固執してるってきがついた。これがトラウマでなくてなんだ、と。いつも演劇のこと考えるときにあのときの経験があたまにあった。べつにたいしたことなくても。


2/1
昨日、ちょっと落ち込むことあってしゅんとしてたけど、さかうらみが深まる前に、よいタイミングで誘ってもらって、笑い話にしてたのしいかんじでお酒飲んだら良いかんじで2月になれた。


2/2
一気にシュンとなった


2/3
企画した催しが終了したが、今まで感じたことのある はなやぐような充実感がない。面白いものを観ることができたり、出会いがあったり、喜んでもらえたり、勉強になったりしたけど、心に重たいものがたまっている。落ち込んだり、また新しいことを思いついたり、反省したり、事務的な作業をしたり、もやもやしながらいそがしい。喪失感とも違う。前みたいに「あー、たのしかーった!」とは言えない。それは悪いことではないと思う。反省することがたくさんあって。自分ができてると思ってることでも、ここダメですよって人に言われて ああ確かに・確かにダメだったから、もう私は私の こだわり を、大きな声で言ったり、くりかえし言ったりすることがはずかしい。そんなことを思ったりした。
具体的なことを何も書いてない。イベントは、たくさん人が来てうれしかった。私の力じゃないけど。面白い作品が上演された。私の力じゃないけど。ちやほやされたくて消化不良なのかもなあとすなおに思う。ネガティブになる、って意味じゃなく自分に対する批判性をもっと持たないといけないのではないか、とも考えた。問題がおこって、それを人に指摘されたから、よりそれを考えている。いや、それもぼんやりと「批判性」とか、そういうふうに思ってるだけじゃだめで…………、たぶん、問題点が何かを洗い出して、それを解決するための案を出さないといけないんだ。大学の卒業研究でやったやつや。それで、人に納得してもらえるかは全くわからないけど。
自分がひとりよがりでないという自信がどこにもない。


2/4
落ち込む。不安。少しましになってきたけど、きづいたらまたおなか壊してる。寝込むほどではないけど調子悪い。あんまり予定を増やさないで、人に会う約束しないで、夜まっすぐ家に帰る。お酒飲まない。お湯飲む。片付けとか掃除して、もの捨てる。インターネット上で会員登録して使ってないやつ、メールマガジンとかしょうもないものをひとつひとつ解除・退会。さまざまなものの整理。すっきりしたい。気休めでもいいので


2/5
しかられる。次から次へと不快なことが。ああ、でも、相手の言うことはもっともで、私は感じが悪すぎる。自分でもいやになるし、××のことも正直どうでもいいんだ。たのしくない。目の前に問題があったらそれを消費するみたいにべらべらしゃべってしまうだけ。あーあ。私は××の全てを否定したがっていたが、××さんが××を褒めてたり××が面白いと言ってたりする。自分が全面的に否定されたらたまらない!と思ってはじめて、人から優しいことばをかけてもらってはじめて、他人の全部を、きらいになることはないんだと気づく。あいつの全てが嫌いと言い切りたがる自分の言葉に騙されて呪われてるかんじ。全部なんて、、全部なわけがない。いいとこもあって悪いとこもあって、って当たり前のことに気がつく。


2/5
他人の全部を嫌いにならなくてもいいんだな。嫌いな人の一部を認めたり、好きな人に嫌いなとこあったりしながら付き合っていくんだな。ずっといっしょにいたり、しょっちゅう会ったりしなくてもいいし、もう二度と会わない、などと決めなくてもいい。
もし自分のことを全面的に否定されたら たまらない……。そう思ってはじめて他人へのジャッジがゆるんだ。なんて勝手な。
気づいてみれば、当たり前のことなんだろうけど、「あいつが嫌い」ってことにしばらく夢中になっていて、わからなかった。まあ今も、嫌いは嫌いでどうしよもないが、少しゆるんだ。

また、別の件で反省ばかりしているところに、やさしくて勇気づけられるアドバイスをもらって、胸が熱くなった。「お気づきの点があれば」と自分で指摘をもとめていても、評価は怖く、実際きびしいことを言われて落ち込んだ。ありがたいけど。そんな中、とても暖かみのある「ご指摘」をくれる人もいて。なんだこのやさしさは、と思った。ためになる、たしかにそうだ、と染み入る。新たな問題点に気がつく。おそらくきっと誰のことも傷つけないで、そういう指摘ができるって、すごい。見習いたい。私は前のことにこだわりすぎてたんだなあと気づいた。条件が違うのに、「前はこうしてたから」ということにとらわれていた。私は自分のことを冷静に「そもそも、」って考えられる人だと思ってたけど全然できていなかった。そう、前も書いたけど、できてると思ってたことが今回全然できてなくて、問題点に気づくのも遅れ気味だった。なんだ、全然能力ないし才能ないし実績も経験もないしヤバイな私、と思った。そんなかんじでダメダメだった私に、先ほどのやさしいご指摘をくれた人が、あとから「やってない時より挑戦したあなたのほうが私は信頼できると思います」というメールをくれて救われた。

今日の話はここでいいかんじには終わらなくって、また追ってかぶせるように、いやなことがあった。次から次へとなんなんだ?ざくざくっと他人の言葉が、胸に刺さっていくよう。反省ばっかりもしてられない、喧嘩してやる!と思ったけど、相手の言ってることが私に刺さるのは、もっともな部分があるから。私の悪いところを相手がわかっているから。私がもし、誰も傷つけないで、やさしくユーモアもあって、うまく人に言いたいことを伝えられる、感じの良い人間だったら、なんの問題もないんだった。でも、それはそれとして、やっぱり納得できない部分もある。反省はするけどたたかうよ。そのことでしんどくなってもいいし、相手もしんどくなればいい。周りもちょっとぐらい迷惑かけさせろ。飛び火あびろ。団体の中で、他人に何か言うってことは、それを覚悟してるということでしょう?勝手に納得して「自分も悪かった気をつけよう」などとクールぶって言ってるその足もとを私はグラつかせたい。しつこくつきまとう覚悟が、あるぞ。自分が正しいと思ったことを、言葉すりかえてしゅんとしてうやむやになんて絶対しないぞ。


2/7
さっき食べたインスタントのラーメン、濃すぎてゲロ風味。味はわからんが、においが嘔吐物。ひどい。全部食べた。


2/8
打ちあけ話を、酒のさかなにされたり、SNSで自分の意見を言うための材料にされたりしたらたまらない。でもこういうのは多かれ少なかれみんなやってることで、私もやってるから禁止できない。自由だ。どうぞ、なるべく本人にバレないように、できればその場限りで、どうぞ。本当に困るなら、相談などといって打ちあけなければいいだけだ。信用できる人とそうでない人を判断して分けるのって、みんなやってるって、きくもんね~。こちらが正直になればなるほど、相談相手からは、役にたたないお説教、お叱り。相手だってひっかけるとこをさがしてる。惨事にならないためには、困りはてて相談をするときでさえ事前の計画、そして話す最中も様々な制御をすることが必要で、それはしんどいしめんどくさいからつい、甘えから入ってしまって後悔する。ごめんなさいの気持ちもある。つい、私のことを助けてほしい、話をきいてほしい、と思って話し始めてしまう。そうして返ってくるのは、あなたのためを思って言う、こうしたほうがいいよ、こうしないほうがいいよ、などのアドバイス。つらい!かなしい!なんで?でも私はだめな人間だ、と思うにはじゅうぶんな。抱きついてすりよって頬ずりして頭なでてもらお~と思って行ったら腹さされたみたいな。すぐに役にたたない言葉もいいし、自分を変えることは大切だ、とはまあ、まあ、そうかな、と、わかってはいるけど、問題をかかえている中、さらにしんどさや不快をわざわざ重ねるなんて。ためらってしまう。しかしあとのまつり。相手から放たれた言葉は、心にかみついてしまう。よくできてる。あばれても外れないから、まずはおとなしく。三日か、一週間か、十日か、いつゆるむのかはわからない。もともとあった問題と悩みごとといろいろと、いっしょにかかえて生活を。なるほど、私のためになっている。
説教する人は、老婆心ながら、と前置きするくせに、本当に老婆あつかいしたら火をつけたように怒りだす。そのヒステリックさにおいては私もひどい。何を言われても「説教だ!」ととらえてさわぐとしたら、相手もたまったもんじゃないだろう。元気になったらけんかをしたい。元気になったらその思いつきはアホらしく感じるだろうけど、まともじゃないことをして、恩を仇で返したり、能動的に他人に迷惑をかけてやりたい。頭の中ではところかまわず放尿している。たとえばひとりで、こんなことを書いただけで、本当に実行したかのように叱られる。心の中は自由でしょ?と私は思う。相手は、態度に出てるから迷惑だ、と言う。言うはず。(※実際には言ってない)


2/8
泣けてくるから今はもう何も考えたくない胸が痛い
気持ちが交わるやつがしたい。本当に人が何を思ってるかとかがわかんないんで、せめて言わなければ。伝えなければ。どんな顔をするだろうか?想像とかして。運良く交換できたら最高。そう思うだけで、この強烈な感動は何かしら?酔ってるだけかもなあ、みたいなね


2/10
B5のルーズリーフにやること(やりたいこと・やらなければいけないこと)を書いて折りたたんでかばんに入れている。随時書きたす。やったら線で消す。メモ帳やiPhoneの中よりも一枚ものの紙に書くのがいいと思う。


2/10
情報や、人の意見が流れてくるのを見たくない。
私は本当にいろんなことを忘れてしまってるみたい。楽しかったことも好きなことも。記憶が改ざんされていることもある。今思ったことは今しか書けないから、記録することは続けるが、そのやり方を変えてみる。


2/11
読売テレビ祇園笑者」中川家剛×すっちー観た。テンポ速すぎず、話が、面白い。師匠エピソード味わい深い。


2/14
最近コンビニのおにぎりで、「だし巻と焼鮭」みたいなやつがある。辛子明太子とか。ファミマだけか?わからないけど。好き。


2/14
ずっと車酔いしてる感じ。お腹の調子もずっと悪い。まずは体調を戻さないと。


2/15
ビオフェルミンを買った。お腹をこわしているときは、食べるものをおかゆか素うどんだけにして、くすりを飲んで寝る、というのを続けるのが良いと思うけど、食べる楽しみが減るとしんどい。昨日はサッポロ一番つくって食べた。


2/15
家に本や漫画が届いてると思うとうれしい。


2/15
長澤知之ライブ。よかった。


2/16
松浦弥太郎の『あなたにありがとう。』を読む。とても全部はできそうにないし、それは違うんじゃないかなと思うところもあるが読んでよかった。まねしたいことがいくつかあった。普段から少しずつ意識して行動すれば、良い方向に変わっていけそうだと思えた。また、書いてある通りにしなくても、「自分は思いつかなかったけどあの本に書いてあったふうに思う人もいるんだなあ」と思い出せたりするかもしれない。


2/19
おとといぐらいから気持ちは少しましに。今まであまり興味がなかった自己啓発系の本を読みたくなっている。実際に買っているのは松浦弥太郎マキタスポーツの本、アドラー心理学の本など。まだまだ本は読みたい気持ちが続いてるのでこの機会にたくさん読みたい。


2/20
いつも、ひとりだったらもっと楽しかっただろう、と思ってしまう。人と一緒にいて楽しいのは本当にまれだ。新鮮味をたもって。何回も何回もべたべた会ったりはしたくない。。


2/22
「なんかいいですよね」"なんか"なんかが本当にいいわけがない。つまんないものをおもしろいと言っちゃうそのセンスが大嫌い。変態でない者が変態のふりをしている。公の場でセックスの話ができることがかっこいいの?それに加えて家族の問題、なんかコンプレックス・うじうじねちねちした痛々しいものをおしゃれな格好をしておしゃれな場所でおしゃれな若者が。寒いプロフィール。赤裸々であることにも汗をかいていることにも飽き飽き。


2/23
車で帰るときいつもと違う道を走った。おいピータン!!で、マユがバス乗り過ごして反対側から家に帰ってきたとき、「自分の家」を見てしまう、みたいな話があったがなんかそれに似た感じ。私の住んでいるまちはどこにあるのか?外から帰ってきて山を越える道なんかをわざわざ通って大回りして高いところからまちを見たらすごくきれいに見えて。あれ、ここはまだ雪が残ってるのか、とか。自分の住んでる近くじゃないみたい。道の駅があるような大きい道路、よそから旅行にきた人なら通るだろうけど、近くに住んでいて用事がない場合はなかなか使わない道。最近また少し旅行したい気持ちになっている。すぐにはいけないけど、遠くに行った記憶に助けられて、近くでも楽しめるようになっている。通ったことない道通って家に帰りたい。


2/27
はじめて、「様子をみて自分から喋らない」というのをやった。


3/7
何者にもなれないっていうのを改めてこれから何年間か、だんだんつよく味わっていくのかも。でも今日思いついたのは、「誰かにあこがれられたい」気持ちもあるわけだから、たのしそーにきげんよくしてようっていうのと。


3/9
前よりもう少し黙るようにする。なんかわからんけどすげえしゃべってた時期があった。楽しくて好きでしゃべってるのだが、疲れてしんどくもあった。べらべらべらべら止まらない。自分の口があたまを追いこしていく感じすらした。考えたことを正確に新鮮に伝えるためにしゃべってたのに、もう、考えるよりちょっと早く口からもれてる。なんかこれはやばいんじゃないかと思いつつやめられず自分で自分に毒がまわっていくような。しかし悪口や偏見は面白い。すっきり楽しく生きたいし~そんなネガティブなものなくても生きていけるし~おまえそれ損してるとか不毛だとかみんないうけど悪口とか偏見ってすげーおもしろいものではないですか?きっと、偏って狭いものって。軽快に言い切って、つっこむしろのあるものって、おもしろいじゃないですか。傷ついたときとか自分のしんどいこと心のめんどうは自分でみてほしい。自分の気は自分でちゃんとすませてほしい。ところで、なぜしゃべるの?なぜしゃべりたいの?ひとつは、ヘンゼルとグレーテルみたいに、光る石やパンくずを落としながら歩かないと怖いから。でも、ぎゃあぎゃあしゃべる以外にパンくず代わりになるものもあるのかもしれないし、そもそもそんな「めじるし」とか点を記録することをする必要ないのかもしれない。いろいろ試してはいます。


3/31
不安。かなしい。動いてないからヒマやからノスタルジになる。さみしい。したいことはあるはずなのに。こわいし。


3/31
不安。働きに出るのが怖い。変化を怖がっている。母親が死ぬのが怖い。いつか死ぬと思うと胸が痛くて涙が出る。たとえば毎日家でごはんをつくって待ちたい。自分がアホでなさけない。

2013年9〜12月

9/14
小銭ないからってフライドチキン買ったのははじめて


9/17
地味な仕事をえんえんとやっているので疲れるけど、今のところたのしい。たのしく思えるのは、これを一生やるわけじゃないっていうのが明らかだから、っていうのもある。先が見える見えない とかって、すごくしょうもなくもあり重要でもある。バランスとる材料。不調の原因に気づく材料。


9/18
仕事してるとやりたいことフツフツ浮かぶ→わすれる


9/21
楽しそうだと言われた


9/22
非常に疲れた。不安がおそってきて胸がイタい


9/23
喋りすぎ。ほんとうに喋りすぎてる。ヤバい。重ね重ね厳密に正しく正直なことが言えるように……と長く喋ると、ほんとうに、喋れば喋るほど嘘くさくなって、自分で自分の言ってることを信じられん。


9/23
来た来た。すんごい不安。昨日か、おとといぐらいから、すんげえ不安。バクバク。原因はわかってるけど、わかってたからといってどうなるものでもないし。まあ、そりゃあ不安に思うのはしょうがないよね、あたりまえ、ふつうのことです、そんなかんじ。だけど、胸は、痛くないほうがいいにきまってるよなー。ぐらぐらしてないほうが、しんどくないほうが、いいよなあ。スカッとしたいよなあ。でもたまにはしょうがないなあ。


9/28
なんかジメっとしてんのかもな、モヤモヤ まあ日が経てばどうでもいいってかんじになってるだろう


10/5
いいもの観たあとってテキトーになんか食べようってならない。お腹減ってない


10/14
寝てるときと食べてるとき以外の時間ほとんどイライラしてるかむしゃくしゃしてて正直クソババアへの階段登ってる感がヤバいんですが、大事に思うものを何年かかけて見つけたり集めたりしてきたので今後どのようにそれらを大事にしていくかってことを考えるのもありかもしれんってちょっと思いました


10/17
普通に朝とか毎日行きたくないって思うけどそれは「ねむい・だるい・なんかめんどい」レベルで癖みたいなもんで全然たいしたことない。本当の「行きたくない」はもっとやばいから・・・。今は時間に余裕あって、しごと内容もたのしくできていて、夜布団で寝て、朝起きて、平日に誰かと会ったり遊んだり。ふつうに、よい。たのしい。去年までと何が違うって、季節のうつりかわりをゆっくりちゃんと感じることができているような。しかし、ずっとこのままではいられないのだな。逆に、一生このままいろっていわれたら うーん、それはつまらない、きっと、こわいし。まあいろいろやってみよう。


10/21
昔書いた台本読んだら笑えた。


11/9
大学の先輩が観にきてくれてすごくうれしかった。


11/11
腸炎


11/12
同級生の結婚披露宴でアホほど泣く。大げさすぎて、周りが「え、そんなに?そこまで?」とあやしく思うぐらい。でも止め方わからなかった。


11/12
自分の大事なものは消えてったりしないとあの時たしかに思ったが、なぜそう思ったのかを忘れてしまい、足もとがグラグラ。今やってないことなんか全部うそなんじゃないか、と思ってこわい。歩いてきた道はなくなってしまうの?受けとってきたものはもう手もとにないの?いつのまに?


11/14
次、また、なにかできるのか?来年の私はなにをしているの?先を思うと怖い。怖くてもガンガンいこうぜってだけじゃ結局うまいこといかないんで、足を止めない方法を考えてみよう。


11/17
退屈や疑問を抱いたってことに、自覚的であれば、どんなに外側が不自由でも大丈夫で、そこからが私にとってのいきいきと生きていくイメージ。それを、「疑問抱いたらだめなんですか!?」みたいに言って、くってかかかって自由もとめてる風のアクションしちゃう人の言う自由なんて輝き損なわれて見える。輝かなくてもいいから主張したい権利。腹に抱えてにじむ美しさ。まあ私は口に出すけど。言うけど。「なんでなんですか!」「おかしいじゃないですか!」「きいてくださいよ!」うるせえ。自分でも思うけど


11/24
なんでこんなにゆううつなのか?かつて、高校に入ったらしんどくなくなるかな、とか、18歳になったらしんどくなくなるかな、ってずっと思ってたけど気づいたら治らないまま、同じようなゆううつを持ち越し。ずっとゆううつなんだからもうそうゆう性格なんだな、しょうがない、と認めたら最近は明るく過ごせてる気が。まあ明るいといっても自分の中で比べたときに。だって楽しいし。でもそれは認めたからじゃなくてふらふら楽な暮らしをしてるからか。なんだ、いつか終わるのか、このゆるゆるな心地は。たまに沈んだり迷ったり怖くなったりは普通に生きてればその範囲内であたりまえに起こることってかんじで。長引かないし。季節が変わるのをゆっくり感じることができていると思う。このままずっとずっと遊べたら。いや、その文字どおりではなく、たとえ、今より長い時間働いていたとしても、遊ぶという心意気で生きられたら。


12/13
中崎町のイロリムラで演劇ユニット「チューニングフォーク」の公演を観る。太宰治の『駈込み訴え』ががっつり二度上演される。ふたりの女優それぞれの演出による一人芝居。センスが洗練されているから、ではなく、俳優が、懸命に、真摯に好きな芝居に取り組んでいるから、だからとてもかっこよかった。


12/15
10代のころから付き合いのある人がいてひとまわりぐらい年上の人でその人はいつもいつも私のことを肯定してくれていた。しんどくて死にたいときも楽しいときも私が何か作って発表してるときも何も作らないでいても学校行ってるときも働いてる時も仕事やめたときも。その人と会って楽しかった。いつも好きだし感謝をしている。恩返しとまでいかないけれど出会えて良かったって気持ちをふくらませてこれからもたびたび確認できるように今度は私が主体となってひとつがんばってやってみようという計画がぼんやりある。恩返しというわけではないけど私と関わったことをラッキーと思ってもらいたいとか社会的にチヤホヤされたいみたいな下心含みつつお世話になった人に感謝の気持ちをなにかそれを具体的に行動にうつしたいって考えがあるので頑張ろうと思った


12/17
心斎橋で長澤知之ライブ。Nabowaとの『誰より愛を込めて』聴けてよかった


12/20
むかつくことがあった。一晩あけても、たらふくめしをくっても、モヤモヤ、むしゃくしゃしている。なぜか?心が犯されとるからや。うるさいやつがきらいや。(わいは猿や、の言い方になってきた、心の中で。)しかし、憤りを感じたときにこそ こういうときに思いついたことこそ。さえてるように思える。まあそんな、なんでもないのかもしれないけど。メモる


12/21
けっこう前に一度だけ観た『マイ・バック・ページ』のことを度々思い出す。めちゃくちゃ大好きな映画ってわけじゃないけどなんかよくあの映画のことを考える。もっかい観たいとずっと思っている。


12/28
京都で『清水宏の情熱「コント」大陸!!』『清水宏のジャパニーズロッキー!!』二本立て。最高だった。

2013年4〜8月

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ひとりで旅行したりして たのしかった。

 

4/3

変化を恐れないようにこころがけてるけど、環境が変わると不安。たたかいながらも座れる場所をみつけるまでは特に。しんどくていやだったことも離れると惜しく、いつか忘れてしまうのがさみしい。でも思った。「私の大切なものは勝手に消えてなくなってったりしない。」根拠ないし、歳もとるけど

 

4/8

吐きそうになったときにそれが弱音だと気づいたら、吐くのをがまんできるつもりだったが、なんやかんや言い方を変えて言ってしまっているのかも。もらすのは下品。腹に抱えておく根性必要。

 

4/15

時に「なるほどなー」って素直に納得できないようなものや人を好きになったりするのおもしろい。ガツンとしびれたいし、めちゃくちゃなことやりたいっていう衝動 羨望 忘れないようにしたい

 

4/21

"次の次"以降のことを決められない。だからまず"次"のことをやる…。そしたら、それの次のこと考えられる。そのくりかえしでやっていこう…。ずっと先のほうまで、最後まで見通し立てられる人はすごいなあと思うけど。

 

4/22

うっかり夜に山道走る。暗いし狭いし 目的地通りすぎてしまい切り返すスペースもわずかでガードレールもなく、落ちたら死ぬと思った。20kmぐらいずっと自分の車の前を仮免許練習中のプレートついた教習車が走ってて、こんなルートで教習してんのおかしいなと思ってたら助手席誰も乗ってなかった。

 

5/8

あそこ何もないよ って誰かから聞いてても、自分で行ってみてああやっぱり何もなかったなーって思うほうがたのしい。ほんとうは、何もない ことなんてたぶんないし。

 

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5/11

自分の中のしょうもないゆがみで、好きなものに素直な気持ちで関われないのは貧しい。しかしそのゆがみ観察ぐらいでしか人に勝てそうもない。正直さやリアル、みたいなところから遠ざかっても。誰かに何か指摘されたり質問されたらまたそのときまじめにまじめに考え始めよう。心の準備はこのへんで。。

 

5/12

今最も愛しているミュージシャン長澤知之のライブを観てきた。SOUND FOREST服部緑地野音。あんなにおしゃべりがうまかったとは…。静かな生活 あんまり素敵じゃない世界 真夜中のミッドナイト バベル 黄金のありか 明日のラストナイト けやき並木道

「黄金のありか」はじめてきいた

 

5/14

爆笑問題千原ジュニアが仲良くしてるとしたら ほっこりする

 

5/15

AKB48seventeenという曲が大好きで ふいに聴いたら泣きそうになってしまう 。情景の浮かべやすさ・歌謡曲的で 明るくてせつなくていいうたです。夢をかなえる場所、みたいなコンセプトでいて こんな歌詞を歌わせてしまうのがずるいと思う。スタイリストのくだりがやばい。

 

5/20

マツコの部屋DVD買った。改めて観たらやっぱりすごい。名言の宝庫。キレキレ。 「卑屈なところから始まってる人って結局最後まで卑屈なのよ!」

 

5/26

星新一が「気まぐれ星のメモ」というエッセーの中で「作品を書くためには、頭のなかをもやもやしたもので過飽和にするのが先決」と言っていたが、そんなかんじで、今私のなかでもやもや濃度が上がってきた気がするんで 作品として、アウトプットできるようにしたい。

 

5/31

こわいことはあるよなそりゃあ。他の人からしたら エッそんなこと?てことでも自分がこわく感じてるんだからだから今それはこわいんだしかたない。それを認めつつ 慣らしてるふりして結果待ってるよりも、じりじり近寄って越えていくしかない な~

 

6/5

「今しかできない」と「いつでもできる」 これでしか判断や納得ができないのはおかしい、と思いつつある。 どっちでもどうでもいいな

 

6/8

石田晴香さんのスピーチは素敵だった。明るくて聴きやすい。「信じられているのかわからないけど」と言わなくてもいいことをチラッと言うのがはるきゃんぽい。中堅の自覚と、選抜に噛み付く心意気。最後の「末永くよろしく」というメッセージは、刹那的な存在のアイドルが言うと新鮮。

 

6/12

きっと、うまくいく(3idiots)」というインドの映画がすごく良かった。映画的歓びに満ちあふれてた。登場人物がショックを受けたら、ガーンという効果音がいちいち流れるのが面白い。ミュージカルも最高。

 

7/19

1000円のドミトリーに泊まる。二段ベッドがぎっしりと入り組んだように置かれていて、同じ部屋に何人いるのかわからないぐらい。脱衣スペースがなぜかキッチンの横にあって、つっかえ棒とぺらぺらの布で仕切られている。ごちゃごちゃしてるけどふしぎと快適。エアコンもきいてる。

 

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7/25

英智スタイル48」読んだ。タイロンウッズとのやりとり、ファッション、リンゴ、ことわざなんかのページが印象にのこった。ますます好きになった。

 

7/27

心配することなんか何もない。不安で死にたくなることがない。明日になっても構わない。そういう安全安心安定がほしかったんだー!そればっかりじゃ、なんとなくダメとはわかっているが…、いっときでもいいから、休けいがしたかったんだ。しばらく明ける予定のない休み いわゆる無職

 

8/4

「私がオバさんになっても」で、“サイパン”が2回出てくるところすごいおもしろいな・・・って聴くたび思う。歌詞の のせかたとか。森高千里すごい。

 

8/15

吾妻ひでお失踪日記』に「ホームレスやってると働きたくなる 肉体労働やってると芸術がしたくなる」という言葉があって、ホームレスも肉体労働もしたことないのに共感?する。金は稼がないといけないんだけど、文化的なとこから遠ざかると一生このままなのかな?って思って怖くなるのだった。

 

8/18

自分を正しいと思い、それ以外を見下すという習慣が根付いて剥がれることがない。疑うことを思いつけないほど当たり前に、ごく自然に貼りついている。それが私の通常の心の状態である。

 

8/21

しょこたんTwitterのプロフィールに「シャンソン歌手になりたい」って書いてあった。 へー、と思った。 何かやりたいとき忙しいときそれでもわくわくするとき、頭の中に浮かぶ貪欲というワードにいくらか引っ張られてる。それは昔しょこたんブログからおそわった言葉だ…。

 

8/26

子どもと接していない生活に慣れると「子どもはかわいい」「子どものために」云々といった考えを、ぼんやり胸にかかえたり、ろくに実感も伴わないのに口に出してしまったりしている。子どもはかわいいしたのしいが、くそなまいきで暴力的な状態のガキに接すると腹が立つ、ということをよく忘れる。思い出程度の経験と幻想によって、子どものことを考えている大人になった気分になっているが、それはガキのいる現場から遠いところで、教育に関する楽しい勉強をして、豊かで文化的な気分になっているだけ。それが良いとか悪いとかじゃなくときどきは、自覚を試みたいだけ。

 

8/29

喧嘩すりゃよかった

 

2012年4月1日~2013年4月1日

(教員をしていた一年間にSNS等で書き散らしていたものを集めて載せた)

 

 

4月1日 明日から社会人です。考えると息がくるしい。不安は、自分でやる準備・対策によって抑制していけると思うから、がんばるしかないとわかっているけど、どきどきして何かのひょうしにぶちまけて吐いてしまいそう・・・。仕事は、学校の先生です。*1

 

4月4日 自尊心のないやつは害悪なのかもしれん。たちが悪い、格好悪い。自分がそうだからそう思う。自信がないなんて恥ずかしい、と、おもって、向上していきたい。とにかく仕事が続きますように。

 

ゲー吐きそうって毎日心の中で言ってる 全然吐き気ないときも 誰に向けて なんの話を 用意しているのか 「ゲー吐きそう」っていう比喩をさ

 

4月8日 せつなかったりかなしかったりでたくさん泣く。****のことを思い出したり****のこれからの生活を想像すると・・・。そのほかにもいろいろ。ノスタルジと新生活の不安。弁当をひとりで食べることははたして孤独か?*2など

 

4月9日 会いもしないのに想像して元気になること!誰も自由にできない自分だけのもの 心の中があってよかったなあ

 

「こんな気持ちになれるって僕はついているね」本当にそう思います。心にガチッときて好きだ好きだと思えることそれだけですごーくラッキーです。

 

4月11日 家族みたい、とは言うけど自分の家族全然そんなことないのにね。あこがれのように使う例えですね。家族みたい。

 

4月20日 歓送迎会があった。職場からバスで料亭みたいなところへ。おいしいものいっぱい食べたけどめっちゃしんどいしかなしかった。給料日だから余計泣けた。周りに教師しかいなくて気持ち悪かった。つらかった。老婆心云々などとはいくら歳をとっても言いたくないなと思いました。老婆心という言葉を延々批判している痛快な文章があったら今ガンガン読みたいです。いくら先生になったって、生徒に「そんなんじゃ社会に通用しないぞ」なんて言いたくないって強く思った気持ちと似ています、だって私が社会に通用してないねんもん。でもよくできるいい先生ってそういうことを言ったり「空気読めよ」って言っちゃう先生なんだと思います。空気を読んで社会になじめるようにさせる、それが教育だからです。仕事しんどいなってあらためて思って涙がでてきます。あんなにおいしいものおなかいっぱい食べたのにね。教師向いてないんです・酔ってたんです、この二つの言い訳は一生したくありません。

 

5月4日 こないだ仕事の関係の人に40円もらいました(切符が買えなくて)。お酒の席でその人に説教されたので、腹が立って酔った状態で失礼な態度をとりまくってずっと文句を言う顔でいて、あげく、その帰りにお金をもらいました(40円)。もう会えなくて返す機会がない人です。一生40円のマイナスです。

 

5月15日 ああ しんどいなつまらないなと思ってじっとして、しんどいということについてばかり考えていたら、こうやってどんどんおもしろいところから離れていってしまうんだ。なら踏んばらなければ。夢中でしんどがるんじゃなく、どうせしんどいのならおもしろいほうへ、我にかえっていなければ

 

5月27日 社会人になってはじめての連休だったのでうれしかった。*3水曜、木曜がとくにしんどく、体調も悪く、ずっといらいらしてかなしくて木曜日の朝通勤中、くるまを運転しながらちょっと泣く。事故をおこして仕事に行かない・・・という想像をするも無事に職場に着く。げっそり。授業は一日4コマぐらいやる。木曜はなんか全部うまくいかなかった。生徒に感情的に接してしまい後悔した。汗がとまらない。校長が「子どもたちに理科の楽しさを伝えてあげて!」などと言っていたが、そんな気持ちは忘れた。もとからなかったのかもしれない。実験はつらいもの、という認識である。自分が生徒だったらそんな教員に教わりたくない。でんじろうでも呼んでくればいいじゃないか、と思う。なんかもうやさぐれモードから軌道修正できない。ある日、給食を食べ終わって生徒にかこまれる。子どもはアホみたいにぎゃあぎゃあうるさい。「先生白髪ある!」といって、やさしい生徒たちがわらわらと、私の頭皮から、4,5本の白髪をぬいてくれる。それがみな真っ白で、なんか生きていくのがいやになった。「生きていくのがいやになった。」と言ったら、ある生徒に「白髪ぐらいでなに言ってんの?そんなん染めればいいだけやん!」と言われる。もっともすぎて吐き気がした。放課後は部活をする。木曜日は中学生にまじって試合形式の練習に入った。激しい運動をすると腰痛が悪化し、家に帰ったらしばらく立てない。もちろん風呂に入らず化粧落とさず寝る。金曜は遠足。ハイキング。生徒たちはバスで目的地に向かうが、私は怪我人などに対応するため自分の車で向かった。しかし、渋滞に巻き込まれて生徒と他の先生方を30分待たせるというミス。なんやかんやで遠足終わる。帰ってからコムサに行って、三万円でスーツを購入。以前、私服で仕事に行ったら校長に「教員として不適切な服装」と言われ、家に帰らされたことがあるので、私はだいたいスーツで仕事にいっている。喪服みたいな格好で授業をしていると気分も暗くなってくる。だから新しく、黒じゃなくて灰色のスーツを買った。ジャージを着ている先生もたくさんいるが、私はジャージが嫌いなのでなるべく着ていない。ちなみに黄色いスニーカーを上靴にしていたらそれも管理職に叱られ、「多感な生徒に悪影響」と指摘されたので、私は職場でひとりだけ生徒と同じタイプの上履きを履いている。生徒に影響を与えてもだいじょうぶなように、おなじものを!という小さいアンチテーゼで、そんなことはしなくてもいいし、ただ地味な靴を履けばいいだけなのだが、そんなことをせずにはいられない。靴を履きかえるたびに、そういう自分がいやになってかなしくなる。冬になったらきっと底がうすいから、足の裏がつめたいと思う。これからはいろんなものを着ようと思う。社会人の格好をさぐろうと思う。私は、ある生徒が嫌いで、いやなことをちくちく言ってくるので仕事がいやになってくる。いやなことをいわれていやな気持ちになる。呪いをかけられている。土曜日、家族に「お前が病気で死ぬ夢見たぞ」と言われる。生命保険の営業の人の名刺を探す。心がもやっとしているので、パーマをあてた。美容師が、パーマ液を私の頭にかけながら「どこか気持ち悪いところないですか?」と言った。そのとき全てが気持ち悪かったが言えなかった。今日はどこかに行こうと思い、久しぶりに電車に乗って出かけた。呪いに対抗するために****でお守りを買った(500円)。路面電車に乗って、公園でビールのんで楽しかった。ちょうど音楽祭がやってて*********のライブをみてうっとり。かっこよかった。心にうるおい。そして、**さんと話せてよかった。少し買い物して、はじめて占いというものにいった。生年月日を紙に書いた。「血迷っている自分を楽しんでいる」という意識をしながら、本当は自分は血迷ってなんかいない、という確認をする。占い中は、ずっと笑いそうだった。失礼だったと思う。占い師の話は終始不明瞭だったが、六月になればいいことがあるということだけわかった。だから仕事をがんばろうと思った。

 

5月31日 遠足の写真見てたら、生徒がなんかみーんなカワイイ!!!全員かわいい。私はこんなカワイイ人たちに囲まれて仕事してたんや!って思いました。仕事しんどくても忘れてはいけないことがある…ってことに気がつきました。

 

6月2日 こう言いたい、っていうのがあるのにその通り言えないのが情けない。頭の中では言えるのに。一生このままかもしれない。ということは私の思っていることは私しか知らないってことになる、誰にも伝わっていない、全部、それってヤバい。泣いてしまう

 

6月3日 なんか楽しいことないかなっとふにゃふにゃの心意気で一週間過ごしたものの休みがなければそれももたず崩壊してしまう。今日もしんどかった。休みがない・・・と思うと人生や自分の身が切り崩されていくような気持ち。大げさかもしれん、でもけっこうしんどい。元気が満タンだったら、つらくならないようなことでもつらくなってしまうので・・・休みたい

 

仕事で子どもが怒られているのを聞いていたら、いつのまにか自分も生徒の立場になっていっしょに怒られているような気分になっていた。暑すぎてあたまがぼんやりしている。中学や大学で先生にばりばり怒られたときのことを思い出した。強く叱責されて、ダメージうけてるときしか言われたことが頭に入らなかったり、わかってなくてもわかりましたと言ったり、教えてもらったことをすぐ忘れたり。叱られるたびに、ピンチになるたびに、次からちゃんとしよう努力しよう改善しようと思って結局今まで何も変えられなかったということを思い出したりして苦い。そういうのがあって仕事がんばろうって思うのでモチベーションでもある。成長とか吸収という言葉は疑わしい・・・。ただ私はこんなことをした、こんなことができるようになったと具体的に言えるようになりたい。怒られながら何人かの生徒が泣いていた。生徒が泣くのを見たらいつも胸が締めつけられる感じがする。でもそういう、本当の意味では自分が傷ついていない、耐えられる程度の軽度の苦しさはきらいじゃなくてむしろ積極的にうっとりあじわう。「ああ、この子は今、本当にかなしいんだろうな」と想像する。大人になってよかったなあ

 

6月13日 自信を持ちたい。手がかりは無し

 

6月17日 「殺すぞ!」も「死ね!」も言わずにまじめに生きてきたのに

 

6月18日  しんどいのもいやな気持ちになるのも自分の能力の低さによるものだという考えに最終的には行きつく。やめるなら「向いてないから」とか「合ってないから」じゃなく「やりたくないから」といってやめたいもの。そういう潔さを夢見る一方で、理想はどうあれ目の前のものと戦うんだ、と今日思いました。ぐだくだ理由をつけて、立ちすくんだり逃げたりするのではなく、戦う。自分の理想と違うことも言ったりやったりしながら、それでも諦めず投げず前に行く!たたかう気持ちひとつ。そしたら、なにもこわいものはないと思えます。(ほんとうはあります)

 

6月19日 まいにち本当に非文化的な生活をしてる、自分のせいなんだけれど、これはどうにかしなければ

 

7月4日 養蜂、車検代行(?)、電気水道工事等、よくわからんけどなんかいろいろやってる教頭から今日、トマトを買わされた。*4帰ろうとしたら小声で空き教室に呼び込まれ、袋にトマトを詰めながら「明日500円持ってきてこっそり渡して」って言われた。なんかもういやんなった。私はちゃんとしっかりなめられてるんだなと思った。生徒にもなめられてるし、こういう、当たり前にやさしくてエライ人からもなめられている。教頭が校長の悪口を言うことで、職員室での自分の立ち位置をかたいものにしていくのを見てても、私のようなペーペーにまでこそこそと悪口や愚痴をこぼしていても、このおっさんはいい歳してアホなんじゃないか?ぐらいにしか思わなかったが、「500円持ってきて」っていうせりふは本当になんだこれは、と思って予想外すぎてフツフツした。面白かったけど、いやんなった。なめられていることに関しては、ああ、なるほどな、当然当然、と思った。自分のことを褒めたり評価したり、ほんとはもっとできるスゴイ子だと思ったりしてるのは本当に自分だけ。自分のことをイイコイイコできるのは自分だけ。心の中で何を思っていても、自分が思っているのと違うように外からは見えている。それはあたりまえ。黙っていてもおとなしくしてても自分の強さや味わい深さはにじみ出たりしてないんだ、と改めて思って、と同時になんかぼんやりと自覚もなく何かを期待してたんだ私は!と思って超いやんなった。だいたい私はトマトがきらい。そう思ったら、本当に腹が立った。一回いやんなってから、どうするかなんだろうな、とも思った、それを、何も思いつかないうちに忘れていくのかな。えらいひとの机にトマト投げてぐっちゃぐちゃにしてから仕事辞めるという筋の妄想を明日から通勤中にすることになる。なめられるくらいまじめなので、妄想ですら仕事バックれられない。いやんなった。

 

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7月12日 マイペースって言葉久々に聞いた。自分がマイペースであることよりも今は、他人から「あいつはマイペースだ」と思われるように行動していくことのほうに興味がある。それは実りつつあり、過ごしやすくなってきた。そうやって有無を言わさなくしていって・・・それでいいのかな?と思うときもある。

 

7月22日 「休むために働くわけじゃなく従うために学ぶわけでもない」これはスピッツアナキストという楽曲の歌詞。それから保坂和志の「働くことに思想はいらない思想がなければ怠けられない」*5・・・これらの言葉が、最近は頭の中ぐるぐるしています。

 

7月23日 友達と別れたあとさみしくなった・・・というだけのことに気づくのに何時間もかかった

 

9月7日 いま目の前にあるものを愛そう といつでも思ってるけど その気持ちを達成できたことがない。達成なんかない。目的が、それを手に入れることではないのだから、達成なんか、ないのかもしれないが、いつも、いつかは別れがきてしまうもの。具体的に今なにをすればいいのか。

 

9月21日 肌寒くなってきた。季節の変わり目のにおい!ゆうがた放課後のグラウンドとかヤバイ他人の青春の香りを嗅いでいる。最近は日中鼻水が止まらない(アレルギー性鼻炎で)。くすりもききません。いつか、学校で働いてたってことをキュンとして思い出せるような良い思い出にできたらいいです。思い出づくりしかモチベーション無いの、って思ったら薄っぺらい情けないアホらしくも思うがまあ気休め気休め・・・・・・。落ち込まないようにかわるがわる、できるだけ気持ちよく生活するための考えかたを小さく細かく見つけ出していきます。固執せず。秋ってたぶんぼうっとしてたらすぐ終わるからな

 

9月28日 今日はいやになることが五個ぐらいあった。まあそういう日もある。学校というのは本当にダサくて暗くていやなところだと思った。心の弱いのむきだしのクソガキがそこらへんうろうろしては他人に暴力ふるってるんで普通の感覚ではもうアホらしくて立っていられません。私は今日そこで座ってしまいました。えらい先生というのどんなにアホらしくても愛をもってちゃんといちいち怒って立っていられる人のことをいう。

 

9月30日 「たとえ一年で終わるオケでも この時間が無駄になることは絶対ない」のだめカンタービレのなかでも特にガツンとくるこのセリフ、最近よく意識する言葉で、思い出すと奮い立つような気持ちになります。自分の場合は、仕事を、もともと任期の一年かぎりで終わろうと思って恐る恐る、いやいやながらに始めたのですが、毎日辞めたいなって思うその中で、やりたくない仕事の中にもやりたいことがあるってことに気づいたりとかそういうときに、ハッとして頑張ろうって思うことがあります。辞めたいし休みたいが本当に逃げだすような人にはなりたくない、成長したいなって気持ちがすこしはあって。無い向上心をどうにかしようと思わないけど、つらいときに辞めたいって気持ちを頑張らない言い訳にしないように・・・・・・千秋先輩のこのことばを思い出します

 

11月9日 平日は始まってしまえば終わってる。日曜のよるとか月曜のあさは しんどいなど~しよ~って思ってても。がんばろーと思わなくってもいつのまにか最低限なんやかんやどうにかなるよーにがんばってる自分エライ

 

「今しかできないこと」も実は工夫したら後からでも選べることだったりするのかもしれない。でも、出会いと別れはバンバンやってくる。出会ってる最中に、毎日会える期間中に、あ~これ近々別れくるな~と予測できてもそれをどうにもできなかったり。どうにかするすべがワンパターンだったり。

 

11月20日 たいしたものは手に入れてない(たいした量でもない)のに、ちょっとでもゲットしたら手放したくないっていう気持ちが働いて、それ前提に次のやりたいことを選んでる・・・こわい!もともとなかったものなのだからいいじゃないか!せめて頭の中ぐらい荷を置いて、両手フリーで!

 

12月5日 管理職に来年どうするか聞かれてやめますと答えた。最初から一年(任期)で終わろうと決めてたのでふつうに。でも、家帰ってから、「え、なんで私やめんの!?」と思ってもいる。びっくりしている。やめるのか、私。生徒かわいいのに、やりたいことも出てきたのに。でもきっとやめる。慣れてきたし死ぬこともないし誰にもやめろって言われてないのに、きっとやめる!ひーーーさみしいなあ、ぶるぶるふるえます、この人生の変化の兆しに。いやなんてことないよくあるやつ、最近の若者が一年で仕事をやめるだけの話。ただ私は、さみしいなんて思えるようになった自分にびっくりです。感動といってもいい。これは最近の変化だから、それに関してもぶるぶるする。はたらくのがいやでいやでしょうがないのに。今でも。でもさみしい!うえええ。私は本当にアホなんですけど、アホみたいなことを言いますがコミュニケーションの大事さ、みたいなものが最近わかってきました。これからも何回も忘れて、くりかえしくりかえし微妙にずらして重ね重ね、違う人に教えてもらう。おしゃべりをしたほうがいい。相槌をうったほうがいい。ちょっとしたときにありがとう、ごめん、すみませんといったほうがいい。それは生徒との関わりの中でじわじわわかってきたことです。しょうもない雑談したほうが授業がうまくいくとか。やわらかくしておいてから、本題に入ります。だからさみしい。たくさん喋ったのにさようならするのはさみしい。でも、たのしいとか慣れたとか別れるのさみしいなってことが続ける理由にはならないのでさよならです。しんどかったことを忘れて惚けているだけですね。残りの時間を大事にします。ただ私は一年っていう任期がついていなかったら絶対に先生になんかなってみようとも思えなかったと思うので、すごくよかったです。

 

12月21日 職場の忘年会(蟹)つまらない。むかつくけどへらへら笑って過ごしちゃう。頭痛頭痛。酒もまずいし蟹もまずいし仕事しんどいのに蟹まずいってじゃあ幸せはどこにあるのか?という考えに至ってしまいます。友だちに会いたいよ

 

1月6日 明日から本格的に仕事が始まると思うと、気持ちが暗くなってきます。具体的に何が嫌なのかも思いつかないのですが本当に絶望に似た感じ。思いつかないだけで、嫌なことはたくさんあります知ってます。だけどそこまで嫌だと思うほどでもないこともひっくるめて嫌がっているのもたしかです。頭が衰えていて、いろんなことをすぐ忘れてしまうんで、毎回ぼんやりしたことで気分の悪い時間を過ごしてしまっています。心がどうのこうのとか、落ち込みやすい性質とかなんとかいうよりも、頭がアホなんだと思います。自分でじぶんの気持ちや人生の感じを、幸せハッピーに仕立てる力がない。まあそんなことをいっても自分のことをまるっきりだめだと思っているわけではありません。何回も何回もそういう気持ちをどうにか時間で乗り越えてきたんだから。自分の味方は自分しかいないのだから・・・という感じ。自分がどんなにアホなことをしても、私は私に怒りません。「まあいいよいいよ今からどうする?」みたいな声かけを頭の中でして。怒ったり文句言ったりするのは、ぼーっとしてたら他人がしてくれるし。それがしてもらえない環境になったときには、自分の立場を変えていかないといけないです。今は、大丈夫。つまらない仕事をしてストレスを感じてお金もらって楽しい、まだぬるめなぐらいですね。行きたくないけど。

 

1月11日 ちょっといいお菓子の詰め合わせが届いてわざと声をあげて喜ぶ母のようすを写真に撮ってアホすぎて二人で大笑い。私や妹が大きくなってから、私と妹と母は子どものようにわざとアホなことを言ってふざけて少し遊べるようになりました。きらびやかなお菓子と母の喜ぶ顔と背景の生活感あふれる部屋が一枚におさまってて貧乏くさすぎて、もし親死んだらこの写真見て絶対泣く

 

1月14日 しばしば、「社会(仕事)はそんなに甘くないぞ。しんどいぞ」という忠告をされます。自分はそれを言われるのが死ぬほど嫌いなので、「たいして意味のない害悪な説教ぜりふだ」と思います。黙って、口を開けて話を聞くことにしてます。本当は、「意味がなくて害悪だから嫌い」なのに、「嫌いだから意味がなくて害悪だと思ってしまう」と書いた。※社会という言葉には反抗ができない。

 

1月18日 その日が誕生日だった男子生徒が、学校で会う人会う人に「今日なんの日か知ってる?」と尋ねまくって、他の生徒や教職員、たくさんの人に「おめでとう」と言わせていました。みんな、よかったね~と何回もおめでとうを言って。子どもの誕生日はそうあってほしいな~と思いました。たくさんの人に何回でもおめでとうおめでとうと声をかけられて、きょうであの子は何歳になったんだと認識されて、プレゼントなんかなくとも祝われるべきなんだと思いました。特別な一日にみんなでしたい。

 

1月19日 *******の「*****」という公演を観るために東京に行きました。私は、自分が演劇をやりたいのにずっとやれていないから、演劇を観るのがちょっとこわいと思っていました。それでも、今はとにかく観に行こうと思っています。たとえば私は「*****」が好きで、自分がやらなくても自分が好きと思える演劇は既にあるのですが、それでも演劇をやってみたいと思います。そんな微小な衝動で、うそくさい夢に固執しているだけかもしれないけど、しばらくは演劇を観にいくことで、演劇をやりたいという気持ちをふくらませていきたいです。そして実際に演劇をやりたいです。

 

1月24日 学校ってしんどいな。先生は制服じゃないからラクでいいなって生徒に言われる。そうですよ。おとなをうらやましがってほしい。おとなっていいな~って思われたい。子どもに健全に羨ましがられる楽しそうな大人になりたい。大人になったら、楽しいだろうなと思いながら大きくなってほしい。

 

生活というのは習慣のことだけじゃない。特別なことを一回やるだけでも、毎日がしばらくがらっと変わって見えたりする。それがすべてを変える要素にはならなくても、じわっと変わっていくきっかけになったりする。だからどっちを選んでもいいんだ。

 

1月25日 「ゆううつというのは、状態ではない。わたしは、14歳ぐらいからずっとゆううつなので、今がたまたまゆううつな状態なんじゃなくて、わたし自身がゆううつな性分の人間なんだ。」このことにさっさと気づき、認めていたら、わたしの高校生活はもう少しらくだったのではないか。

 

1月29日 今日の自分はだめだった。でも、なにがだめかわからないし、じっくり考える時間もない。ねむくて。つかれてて。でも、指だけすっすと動かしてインターネットをする時間はあるのか。日々なにをやっても「自分がだめだった」という答えで終わらせてる感じ。なにがだめなのか考えないと、謙虚さすらゼロ。

 

まじめに何かを考える気もないのに、考えることに没頭するつもりもないのに、問いだけ提示してしまう。便所用のカレンダーでも作りたい。こうしてイラついてるときの吟味のしなさ、「言い切ってるからこれでいいの」系開き直りはみっともないから控えたい

 

1月31日 現状を悪くとらえすぎてた。自分に能力がないのは事実だが、そのことだけが諸悪の根げんではない。ずらしていきたい。あれも悪い、これも悪い、といったふうに可能性を増やしていく。自分が思ってるほど自分は悪くないが、今思ってること以外にも悪いところはあるはずだ。

 

2月1日 学校の嫌なところを変えていく力は無いけど、ひとりひとりの生徒と明日からどう関わっていくかっていうのは、今から自分で決めて、自分の規模で実行していけることなので、できるだけ良いコミュニケーションをはかりたい。でも、これはきれいごとで、学校に行ったら、暴言や暴力や給食の豆がとびかっていて、すぐに心が怒りとか呆れとかでいっぱいになる。

 

2月5日 やる気のなさは悪。職場でやる気ない人ランキングとかがもしあったら上位に入ります。

 

2月6日 あーー行きたくない……こんな朝を何回くりかえすのか。顔黒い。服適当。

 

Amazonから漫画届くぐらいしか楽しみがない。。映画でも観に行こう

 

2月10日 子どもに対して「本人のやる気の問題」とか言って切り捨てるのは横暴だと思う。自分の部活動の経験を振り返っても、怖い先生や先輩、いっしょにがんばる仲間などがいたから最後まで続けられた。私が自発的に能動的に頑張ったわけじゃない、ゼロからやる気を生み出したわけじゃない。やる気を引き出す環境づくり、それは大人の仕事。自分で目標立てて自制してひとりで頑張って成長していける・・・そんな子もまれにいるけど、他の子どもにまでそれを当たり前のように求めるのは無理な話。ただ、やる気のないやつを見ると腹が立ってしまう。本人のやる気のせいにするのが最もらくなんだ。

 

しあわせというのは状態じゃなく気分なんだなと今日は感じた。じいんと気持ちをあじわうこと。そんな時間が今日、何秒かあった。出来事、事実とか結果のような「状態」じゃなくて、自分の感じること。一時的で不確かだから、実感はこの手からこぼれ落ちていくだろう。そうして忘れてしまったら、今ここにないのだから それはうそだ、そんなふうに決め込んでしまうときがくるのかも。まあそれでもいいけど、忘れないように書いておきたいと思った。私がじいんとしたことを。

 

2月12日 ごちゃごちゃ言ってくる人たちを、うるさいなあ、と一言でやっつけたい(一喝したい)。だけど、世間に対してそれができないから、できたことがない人生だから、そのかわりに仕事をやめたいのかもですなんだそれ。しかも、「ごちゃごちゃ言ってくる人たち」なんて、本当はそんなにはいません。いるのは、頭の中。私の頭の中に、私に文句を言ったり説教したりしてくる架空の世間がいるんです。その世間からひとつひとつ自由になっていく、その考える作業をたくさんたくさんできたらいいです。

 

2月12日 子どもの言うことで、まんまと傷つきます。わざと人を傷つけるようなことを言ったりしたりしてくる子もいます。傷ついたらそれをなるべく味わおうと思っています。口に入る大きさだったら。自分の中のマゾっ気をひっぱりだしてきて。鈍感にはなりたくないけど負けたくもないんです。他人の言動で自分がつぶれてたまるか、と思います。先生と生徒というのは普通の健康的な人間関係ではない、と思うことがあります。気分が悪くなるような叱咤のあとでも、またもとどおり、ケロっとしておこうと思います。

 

2月14日 今日は、生徒たちはそわそわ、色めきだっている感じがしました。巻き込まれて私も浮かれてしまいそうでした。思春期パワー・・・・・・、その雰囲気に触れられるってことは、もしかしたらすごく素敵な経験をしているのかもしれません。いつもいつもいつも後になって「今思えば楽しかったな」って思う、そんな時を今だって過ごしているはず!思い出作りしてるっていう自覚をもってても、めんどくさいことはめんどくさいししんどいですが。でもまあ今日はちょっと雰囲気、楽しかったな。チョコレートもたくさん食べました。

 

職場の男前がチョコ配られるたびに「これ本命?」と切り替えしていてモテる奴ってすげーな!!と思ってとても感心した。普段冗談言わない人の切れ味ヤバい。異性のかっこよさにふれるとすごくうれしくなる。べつに好きにならなくても感心したい。すげえなって思わせてくれる人が周りにいるってことがうれしくて、たまにはそのようにして、圧倒されたくて。その小さなことは、たとえ俗っぽくても、自分の人生や生活を肯定する方向に一歩近づく。毎日毎日そんな感心に出会ってわくわくしてみたい。

 

2月17日 環境を変えれば習慣も価値観も驚くぐらい変わる。だから今行けないちょっと遠くに、もし足を運べなくても気にしない。。今いる場所でやることをやっておく。 

 

2月18日 家に帰って食事してたら、職場から携帯に電話がかかってきた。うわ最悪何かあったかなとこわごわ出たら、教頭からで、二分後に携帯からかける、とだけ告げられて切られた。とりあえず二分待ったらまた電話がきて、何事かと思ってたら2500円のいちごを騙されたと思って買ってくれということだった。*6ハァ?と思ったが相手がもうこれからの段取りを話している。15分後に自宅近くのホームセンターの駐車場に呼び出される。押し売りじゃないから!と軽トラで(遅刻して)やってきた教頭から箱を受け取り帰宅。なぜ夜に仕事のやつになぜ呼び出されなければいけないのか。断らなければなにをやってもいいのか。おいしいいちごだったら何をやってもいいのか。グイグイ要求したもん勝ちなのか。だいたい私はいちごが嫌いなので、教頭がおれのつくったいちご、おれプロデュースのいちごケーキなどとデジカメでとった写真を見せられるだけでいやだったのだった。朝から携帯でGoogleに「仕事バックレ」と打ち込んで吐く息全部ため息にして事故る妄想しながら出勤しているぐらい働きたくない気持ちが高まっている今、こんなくだらない出来事が起きるとは。しかも仕事的に何からも逃げられなくて忙しくてとにかくやるしかない時期にこんなしょうもないつまらなさを感じたくなかった。マジで何の癒しもない。

 

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教えて育てると書く系の仕事をしているのに「アホは死なないとなおらないのでは、」と思うときがあります。そやって諦めたりめんどくさがったり安易に結論づけたりしててはできない仕事なんでしょう。だけど私はすでにめんどうだやっかいだと感じまくっているから、それはこの仕事をやる能力や適性が無いってことだなというふうに考えています。

 

2月22日 懇談会おもしろかった。保護者の話を聞く。家での子どものようすなど。私たち教員は学校での子どものようすを話します。親御さんたちはすごいなと思います。人間を十何年も育ててきたってすごい。ひとりで大きくなったような顔してる子にも、どんな子にも、バックグラウンドがあるんだな、と思って感動します。すごく、未来ってかんじがして、ああこの人たちにはきらきらした将来があるんだろうなと思ってきゅんとします。親ってすごいな。

 

2月23日 忘れたくないことがいっぱいありますよ 何を忘れたくないのかを、もう、忘れていってるんですけど ぽろぽろ

 

さなかにいて楽しいってあんまりないな。距離をおいているとき、少し休んでるとき、あたたかい部屋帰ってきたときに「楽しい(楽しかった)」って思ってるんじゃないか。そうしたら全部のことにおいて終わったあと「楽しかったです」って言える。機嫌のよい人になりたい

 

2月27日 やるしかないって言葉は非常にたよりないけど、やるしかない。ただそれだけであんま威張って言うことじゃない

 

3月3日  ほとんどの時間、我に返っているので、ひとりでないつまらなさに耐えるのがとてもしんどいです。 そんななか、自分が何に没頭できるのかを知っているのなら、それをやればいいんだと思いました。

 

3月4日 久々にがっつりしんどかった。楽しくないけど面白みはあるとか、味わいぶかいとか、そんなふうに無理やり肯定していることを、「本当にそれでいいの?」って聞かれたら一言でもうグラグラ。泣きたくなった。

 

3月6日 この一年が勝負ごとだとしたらもはや勝利の見込みなし。しかしわたしは毎日負けてたまるかと思っています。明日も明後日も。今を踏みしめて生きていくしかない

 

3月9日 ずっと同じズボン履いてるな…

 

3月11日 通勤中、車ぶつけてあっけなく死んでしまうこともありえる。明日死ぬとしたら、そういえば、ここまでの人生を愛してるとはとても言うことができない。漫然と明日以降の未来があるって起こりもしてない夢を見てるからこそこれまでの人生を愛せてたということ。こんなところで死んでたまるかと思う。

 

3月12日 しんどいな……

 

3月16日 卒業式だった。三年生の授業はひとつも受け持っていなくて思い入れもあまりないというのに、雰囲気に感動してうるっとした。私はまだ、来週も授業があるけど、やっとここまできたなあ、という感じ。大詰め。本当に長い長い一年。

 

けんかをしたい。かどをたてたい。

 

3月27日 積み上げていくものが何もない。ほうっておいた経験はくさってしまう。結局、石の上にも何年ってことなのかと思うし、そうではなく、覚悟の問題なのだ、とも思う。思い出づくりを目的とした人生はいやだ。

 

4月1日 無職一日目。それまで強烈に感じてた忙しさがゼロになった。3月はとても忙しかった。部の試合がたくさんあった。遠征も。31日で仕事をやめたが、30日まで6日間連続試合でしんどかった。でも、その瞬間は感じることができなかったけど、たのしかった。きっとたのしかったと思う。外に出て天気がいいってだいすきだ。そして、この競技おもしろいなって、いつも静かに感動してた。でもこの忙しさも忘れてしまうのかもしれない。子供の名前や顔なども。だいたい、何か不安やしんどさがあったらそれから逃れようとしてしまうけど逃れたら逃れたでまた別の不安・しんどさで覆われる。。強さはちがうかもしれないけど。それでも環境を変えていきたい。私は、辞めることをたのしみにして(夢見て)働いていたので、その夢がもうみられないという喪失感が結構ある。どうしてそんなこともわからなかったの?最初に決めたことを変えられないなんて柔軟性がないの?というふうに考えることもできるけど、私は私の人生一回目ですから・・・・・・・実際に感じてるコレはここまでこないとわかんないようになってたんだ、ということにしておいて、これをふまえて今日これからの生活ですね。まあ、ためいきは出る。

 

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 仕事をやめる瞬間の快感はどんなもんかと期待していたのに、実際やめたその日は、さみしくてわんわん泣いてしまいました。約半年前のことです。記憶は改ざん・上書きされて、自分の中ではもう「仕事をやめるのは気持ちがいいこと」ということになっていました。いつでも今の気持ち、今の状態を信じていますが、前のことをちょっとでも思い出せるように、いちいち書いておきたいです。(9月13日)

*1:勉強できないから自分には絶対無理な仕事だと思ってて、もしも一年乗り切ったら自分を褒めよう・苦手なことをわざわざやる一年にしようと思って始めた。出稼ぎに行くような決意で。

*2:自分の机で昼食をとっていたら校長に「そんなところで孤独に食べてないであっちでみんなと食べなさい」と言われて、もう食べ始めちゃったんで・・・とか言って断ったけど何回もしつこく言われて、無理やり年齢の近い教員と食事をした

*3:運動部の顧問してて休みがあまりなかった

*4:家族が喜んで食べた

*5:「この人の閾」

*6:家族が喜んで食べた